@february

2002/02/28 ビアボイス
yoichiさんのBBSでVia Voiceが話題になっていた。ビアボイスは音声認識ソフトなので、テープ起こしに使えるかもねーという話。
シンクパッドにはビアボイスが入っているが、エンロールという声の登録がとてもイヤだ。「タンゴラはものすごくタイピングが速い人の名前です」といったどうでもいい内容の文章をマイクに向かって10〜45分も読み上げる。ひとりぼっちでやってるとたまらなく恥ずかしい。
ずっとほったらかしておいたが、今しがた別に登録しなくても使えることを知った。それでさっそく口述筆記をやってみたら、登録しなかったせいか誤変換がものすごい。

下駄履きで行く温泉で歌舞伎でイコン1,000になったりそば処マンゾク帖祖母ドコモも族長になったりはともかく流行ヘアはタレントからゲット!流公平はタレントから月賦になるとは。流公平って誰。

おもしろくなってきたので、目についたものをどんどん読み上げていたら近いからよりぜいたくに一歩奥へという「伊豆・箱根」のキャッチコピーは近い彼よりぜいたくにポークへと、浮かれ気分をいましめる変換結果になった。ビアボイスはおもしろいな、ははは…と笑ったら墓悪化と変換し、ちょっと怖くなった。
2002/02/23 駒沢オリンピック公園
いま駒沢オリンピック公園のことを調べている。最初、公園協会とかに聞いてみたが資料があまりなく、公園ができるまでを綴った本を貸してもらった。そこには、公園ができる前はゴルフ場だった旨が書かれ、ほんのちょびっと「硬式野球場があったが取り壊した」ということが記載されていた。
その「硬式野球場」とは、東映フライヤーズの本拠地だったのだけど、プロ野球の本拠地が取り壊しになるならもっと話題になってるはずだけど、公園関係者はみんな知らないと言う。東映の総務部に電話してみても「それはだいぶ前のことですからねー」と言ったきり無言。『めんどくせーこと言ってくんなよ』という気持ちが伝わる対応だ。
その駒沢公園の近くにあったのがこの建物だ。「金物 汗商会」とあるけど実は「洗濯や」なのか、そのへんのとこは不明。あーわからんフライヤーズ。
2002/02/22 ニュース 
夕方のニュースで、大和市主婦連続殺人事件の詳細をやっていた。
それによると山本章代は2人の子どもがいる主婦で、主犯の庄子幸一と勤め先のスナックにて知り合う。幸一はエリート銀行員と名乗っていたけど、本当は少年院→刑務所→強盗→刑務所→殺人…と人生の大半を麦メシ食って過ごしていた。顔はクールです。で、駆け落ちした章代と幸一は横浜でアパート借りて同棲。行きつけの喫茶店では陶芸家とその妻を名乗り、その店で陶芸教室まで開く。作品はとても立派で、番組では陶芸家の人が「プロの作品と言われてもわからない」と太鼓判。もちろんそれは幸一が刑務所で習い覚えた技術だ。
しかし貧乏になった幸一は陶芸教室をやめて、本業の強盗殺人を企画。章代に手伝わせるために、当時2人が通ってた祈祷師の言葉だと偽り

俺たちがうまく行くには5つの扉を開かなければいけないそうだ

と言う。その5つの扉とは「5人の人間に天国を見せたあと地獄を与え金をとる」ことだと説明。不審に思った章代が「私も一緒にいたのにいつ先生がそんなこと言ったの?」と訊ねると幸一は「それは声なき声かな…」と答えた。
ポイントポイントがツボにはまる事件でした。
2002/02/18 
新中野に行ったら駅のホームに岡田斗司夫似の人形型看板があった。駅員というより中華屋のオヤジみたいだけど、それは目が細いから。でもよく見たら目が細いんじゃなく、伏し目になってる、すなわちお詫び看板なのだとわかった。
「ゆとりある乗車をお願いします」
とタスキがけで訴えている。普通に作ったんじゃ憎憎しくなるから、ちょっと丸っこくしておけばかわいんじゃない…といった発想なのだろうかこの体型。あと髪型はどうも丸坊主みたいです。
2002/02/16 辛さ 
あまりにも凄い名前なので買ってみた「鳥肌の立つカレー」は、小野員裕という「1000軒以上のカレー専門店を食べ尽くす」カレー研究家が、鳥肌ものの味を求めて作ったカレーらしい。
そんなカフェ・ド・鬼みたいな研究家が作ったカレーは、ホントに鳥肌が立つほど辛かった。おいしいかどうかは、とにかく辛すぎて全然わかんない。でも風邪菌とかはやっつけてくれそうだ。
2002/02/13 秋竜山の稲取祭り館 
翌日は、伊豆→箱根→伊豆という強行軍だった。
有名な高級旅館は、そこに行きつくまでに「ゴミ処理場」と「最終処理場」がバーンとあった。そういうとこの温泉はダイオキシンとかどうなのか。高級旅館としていろんな雑誌に紹介されているが、誰もダイオキシンのことは書いてない。私でもたぶん書かないだろう。どちらかといえば高級ムードな原稿になるだろう。こうして高級旅館に善男善女が訪れる仕組みだ。
しかし泊まったのは、高級感のまったくないKKRという宿だ。ハシ袋に

こころ
KKR

とカナがふってあったのでこころという宿かと思いきや、Kっ家公務員Kょう済組合Rん合会の略だった。仲居さんはちょっとしたこと(ご飯のおかわりとか)を頼んでも、必ずため息をついてから行動し、国家公務員の保養施設にふさわしい。なぜか部屋に伊豆バイオパークのパンフがあり、なぜか書いて(&描いて)るのは秋竜山だった。
伊豆バイオパークのサファリバスに乗ったアフリカ人が、
車窓に額をくっつけて「ここアフリカだ!!」と叫んだ。
連れの日本人が「いや、ここアフリカだ!!というべきだろう」
と言うと近づいてきたアフリカ象が
「そんなこと、ぞうでもいいことだ」と
言ったとか言わなかったとか。アフリカここにある。
「は」と「も」と「が」を強調する意味は何だろう。パンフによれば、バイオパークには秋竜山の稲取り祭り館まであるらしい。そして稲取には「稲取馬鹿ばやし」という祭りがあるらしい。
2002/02/12 宝島保養所 
やっぱりあんのじょう時間に押されまくった伊豆旅行は、朝6時に家を出てから夜9時までずーと働きづめだった。
私は前夜、データをまとめる取材シートというものを作り、撮影の手順についての段取り表を作り、移動にかかる時間の計算をした。こんなに用意周到に取材へ向かうのは生まれて初めてだ。だからどうすればいいのかさっぱりわからず、徹夜をしてしまった。そしてものすごく眠かったけど眠らずに仕事をし、素敵なホテルに泊まった。

このホテルは、普通のホテルのような雰囲気だが実は宝島社の保養所でもある。とカメラマンが言った。
夜ごはんは1時間半もかけてちまちました塩気の多い食べ物を食べ、最後のデザートは暖炉のある写真のロビーに移動して食べねばならない。宝島の人はしょっぱいものと暖炉に興味があるのかもしれない。
ロビーはオール大理石の吹き抜けで、でかい海ビュー窓がついている。宝島だけに海は好きそうだ。
ホテルはものすごく広い敷地に建っていながら、部屋はたった9室。だから1部屋が無意味に広い。どのぐらい広いか不明なほど広かったが、たぶん20畳ぐらい。だけどそんな広いのに部屋に風呂はなく、誰もが大浴場という名の小さな風呂に入らなければならない。宝島の人は風呂に興味がなくて、広い部屋が好きなのかもしれない。

確かに1975年(通巻15号)の宝島には「旅に出たら、なによりもまず寝場所の確保だ」と書いてあった。古い宝島はさわやかな風の香りがしそうなアメリカぶり。ホテルも風がびゅーびゅー通り抜け、ロビーでかぼちゃアイスを食べてた人々は、寒い寒いと言いつつさっさと自室へ帰った。
ちなみにその古い宝島には「この本を盗め」という本が紹介されている。内容は「ロックコンサートの終演後『電源を切ったら壁をぶちこわすぞ』と脅す」「ポット(マリワナ)はどんな気候でも育つから自分用に育ててみては」など、無軌道な若者文化に迎合したもの。著者はアビーホフマンと小中陽太郎。
2002/02/11 取材旅行 
明日から3日間、伊豆箱根の温泉旅館を取材する。今回のテーマは「時間を忘れる旅」だけど、先週まわった時は「時間に押される旅」取材となった。
オセオセになりチョコ2カケだけで飢えをしのぎつつ撮影する中、ガイド本をぱたんと閉じたら裏表紙に「な〜んにもしないをしよう」と書いてあった。
カゴに乗る人かつぐ人、とか、つっつき序列、とか、ヒエラルキー、とか、カースト制度、とか、そのような言葉を思い出した。

それはともかく、なんにもしない宿って何しに行くのか。部屋から一歩も出ないおきゃくさまもいます、という宿の若旦那は「いちばん大切な人との思い出作りに訪れていただきたい」とおっしゃっていた。「それセックスしまくるってことですか」と聞きたかったが失礼だからやめた。
あと人に聞いたら「2人で旅行に行く時点でふだんからセックスはしまくっているので旅行先でまでする必要はないだろう」との見解。うーむ。世の中はそういうふうになっていたのか。

というわけで、スードラの私は取材に行きます。朝9時半に熱川。ふえー。
2002/02/03 看板
終日看板の原稿を書いた。左はボツネタの西荻のスナック。サラリーマン時代のイノキとチーママの関係性とかはうかがい知れない。チーママ3才のときにイノキと何かがあったのか? などと考えることが、このスナックの思うツボなのだろう。
でも看板の原稿は楽だ。店のよしあしとか何も書かなくていい。味はよくても客あしらいはサイテーな店とかままあって、そんな店の原稿は全然書きたくないけど、書かなくちゃならないときもある。
店で一番大事なのは居心地の良さであって、いくらオシャレでも美味でも居心地の悪い店は大嫌い。だけど編集方針というものがある以上、なんとか紹介しなければならない。それがヤダ。でも看板の原稿は楽だ。だからいい。
2002/02/02 Wジマ
やむを得ない事情からWジマ氏の講演を拝聴した。というのは嘘で、拝聴しなければならなかったがめんどくさいのでその前に帰宅した。テーマは「頑張る人生」だ。
終わってから講演会を拝聴した若者にどんなだったか聞いたら「うーんとうーんと、よくわかんなかった。もう終わり時間なのに全然終わんなかった」と答えた。
ほかの人々に聞いたら「一生懸命頑張りましょうってことみたいよ? たぶん……ねえ?」とのこと。
だからガンバロウ。
2002/02/01 発明 
やむを得ない事情からドクターNマツ氏の事務所にお邪魔した。待合室という名の物置には、いろいろな発明品が陳列してあった。その中のひとつ、Nマツパターの説明パネルにはこう書いてあった。
このパターはコンピュータ理論を用いてます。パターと人体を一つのコンピュータと考え、Nヘッドからの特殊音を人体のCPU(脳)に記憶させ、これを体にアウトプットしてボールの位置をコントロールします。
全世界特許なので、購入した“あなた”しか持っていない独占兵器となります。
そのNマツパターを収納するパターケースもあった。
ヘッドを下にして収容できるので安定が良いうえ、ヘッドとグリップをいためません。またヘッドを上にしても収容できます。

結局、どっちを上にしても良いのです、画期的なのです。