今回の乗り鉄の旅で、山陰本線の車窓から「宍道駅」の先から西に広大で平坦な土地(出雲平野)が続いていたことに気づかされ、 1万年前からの出雲平野・宍道湖・中海・境水道・弓ヶ浜と続く一帯の成り立ちを知るきっかけになった。

前回の松江訪問時は島根半島と境港の間の境水道を渡る船も橋も無く、立ち寄れなかった境港への旅が今回実現した。
陸路での米子回りしか無かったのが、中海・大根島から江島大橋を経て、境港に行くルートができて、松江から境港への旅が格段にし易くなっていた。

前半に続く、三日目〜五日目の記録。
 
出発駅-到着駅/目的地
記事
三日目:山陰本線でさらに西に向かい、益田駅でUターン
松江(09:01)-益田(12:08)
山陰本線は鳥取〜米子間と、松江〜長門市が未乗区間だが、今回は益田まで乗って戻ってくることにした。 益田からさらに西は時間ばかりかかって、松江に戻ってくるのが深夜になるため、別の機会にすることにした。
松江〜益田間は162.6KM、40駅、特急利用で2時間04分〜2時間15分、快速利用でも3時間7分〜3時間27分、途中の接続が悪く4時間30分というのもある。
仁万(にま)駅

青い瓦屋根が印象的

仁万(にま)駅
温泉津(ゆのつ)温泉駅

世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の内に登録されている温泉津温泉への玄関口の駅

温泉津温泉駅
江津駅

広島方面に行く三江線との分岐駅

江津駅

波子(はし)駅(無人駅)

島根県立しまね海洋館アクアスまで徒歩約10分

青い瓦屋根の仁万駅は雰囲気よかったが、この波子駅は赤色の瓦屋根で、素朴で南国風のリゾートっぽい駅と駅舎で、さらに良かった

波子(はし)駅
素朴だがリゾートっぽい雰囲気の良い波子駅と駅舎
波子駅の駅舎
波子駅から先の風景
周布(すふ)駅の手前で見た日本海
周布(すふ)駅の手前で、車窓から日本海を見る
岡見(おかみ)駅と鎌手(かまて)駅の間で見た小さな入り江
岡見(おかみ)駅と鎌手(かまて)駅の間で入り江を見る

松江〜益田間は無人駅だらけ

松江〜益田間の日中に駅務員がいる駅(委託駅を含む)は、 松江、玉造温泉、来待、宍道、出雲市、江南、大田市、仁万、温泉津、江津、都野津、浜田、三保三隅、益田、実に、無人駅は25駅、63%

12時08分、益田駅に到着。

駅前で昼食休憩を取って折り返す

益田駅
益田駅プラットホームの時刻表
益田駅プラットホームの時刻表

益田駅は山陽新幹線の新山口駅に行く山口線(上の画面左の時刻表)への分岐駅、 そして益田駅からさらに西下(画面右の時刻表)すると長門市駅に至る。
長門市駅は近年「金子みすず」で特に女性の観光客を集めている「仙崎」への分岐駅、と言ってもその先たった一駅の盲腸線。

長門市駅に行く列車は、07時50分のあとは 13時27分まで無く、その後は 17時21分の下関行き。(益田駅 09時15分発があるが東萩駅行き)、 今回益田駅からさらに西へ行こうとすると長門市駅着が15時20分になる。
長門市駅で約一時間の待ち合わせで折り返すと、益田駅に戻ってくるのが 18時09分、 現在時刻は13時すぎなので長門市駅への往復は5時間を要することになる。 (長門市駅までは片道 85KM)そして、最終的に松江駅着は 22時05分になる。
なお、下関方向への下り列車は基本的に長門市で乗換え。

益田(13:23)-浜田(14:10)

益田から5駅目の折井駅
なんとも侘しい駅舎、というか
駅舎が無いほうがすっきりしてかえって良いかも。

折居駅で日本海を見る
浜田市内のマップ

浜田(16:04)-松江(18:57)

浜田駅で途中下車して、約2時間を浜田の街中散策に当てた。
浜田駅では「国立病院機構浜田医療センター」の看板を見た、「旧国立浜田病院」。

線路の南側の朝日町から紺屋町の道筋を散策しながら浜田漁港の方向に行く。 住居の並びの中に商店が混在する昔ながらのなんともレトロで、時間の止まっている道筋であったが、道筋はきれいで雰囲気は良かった。

駅に戻り、松江に戻る列車に乗り込んだ。

午前の西への旅で、「宍道駅」の先の車窓から広大で平坦な土地(出雲平野)が続くのを見て、 大昔は宍道湖の西側部分は海で、北側の島根半島と南側の陸地とは分かれていたのではないかと想像した。
資料を当たってみるとやはりそうらしく、


「upload.wikimedia.org」にリンクさせて表示

約7000年前の縄文時代に宍道湖の原型が形作られ、その後、斐伊川と神戸川が運搬した土砂によって出雲平野が拡大し、 島根半島と陸続きになったことで宍道湖は外海から隔てられ、海水面の低下と上昇を経て弓ヶ浜砂州が出現し、平安時代以降に現在の中海が形成されたと考えられています

とあった。

それは「神戸川史編集委員会(2009)神戸川史」に示されていた次の図」(同じく転載)で説明・図解されており、 古代にアジア大陸東端の地溝帯が火山活動により裂けてその裂け目が拡大して日本海が生まれ日本列島が形成されたとの解説は、 出雲に伝わる「国引き物語」そのものであった。

「神戸川史編集委員会(2009)「神戸川史」より転載、中海・宍道湖の古地理変遷、10000年前,7000年前,2000年前

おなじ「おおだwebミュージアム」の書庫にある「中海・宍道湖地質関連図版」に、 1万8000年前からの地理の変化図があるが、太古には隠岐と島根が陸続きだったことも示されている。

こういうのは実際にその場所に行かないと知りえないもので、思いがけない旅の楽しみ・発見になった。
四日目:松江から境港を観光し、JR境港線で米子へ、伯備線で岡山へ
松江しんじ湖温泉駅(09:10)-
由志園(09:50)

朝8時半すぎホテルを出て、
近くの松江しんじ湖温泉駅から境港に向かった

定刻の9時10分、バスの運転士は乗客の人数を数えて、境港駅に向けてバスを発車させた。始点から乗ったのは10名程度であったか。

バスは松江城、JR松江駅で乗客を拾い、中海の中にある大根島の由志園に向かった。

中海のマップ

バスは松江市側から、畦道を太くしたような道を大根島に向かう。道の両側に木の杭が打たれている、大根島まで細長く続く人工の道らしい。

大根島は元は陸に火口があった火山だそうだ、ここに火山がある(あった)ということはしんじ湖温泉が、あるのもうなづける。

大根島は国内有数の高麗人参の産地で、島の真ん中にある由志園は牡丹の花咲く日本庭園としてその名が知られているとのこと。結構観光客が居た。

由志園-JR境港駅(10:06)
バスは陸続きの「江島」から、島根県と鳥取県の間にある水道に掛けられた「江島大橋」を通って鳥取県側に向かった。 平成16年(2004年)に完成した新しい橋で、橋の真ん中が海面高 44.7メートル、松江市側の勾配が 6.1%と かなりの急角度で橋の最頂部まで行くので、バスからは実感できなかったが、橋の起点からみると次のパンフレットのように見えるそうだ。

江島大橋のフライヤー
江島大橋のフライヤー

この橋により、松江と境港、さらに弓ヶ浜にある米子鬼太郎空港が一本の道でつながり、観光客の利便性が飛躍的に向上したことは想像に難くない。

ただし、「水木しげるロード」の観光客入込数の推移では、H17年、 H18年は大して増えておらず 100万人を下回る横ばいで、 H19年に一挙に150万人近くまでなっている。
H19年には「ゲゲゲの鬼太郎」映画公開、テレビ・アニメ第5弾スタートというイベントがあったようで 「江島大橋」開通の効果はそれほどでもなかったのかも知れない。

なお、H22年は、NHKの朝連ドラ「ゲゲゲの女房」の効果が絶大で、一挙に年間372万人と前年の二倍以上に増加、倉敷・宮島を超えた。
鳥取県では「鳥取砂丘」を超える一大観光地となっている。
H26年境市観光協会資料

JR境港駅
駅頭の妖怪巨大壁画
境港駅頭の妖怪巨大壁画
駅頭のオブジェ
水木しげる先生執筆中
境港駅頭の「水木しげる先生執筆中」 境港駅頭の「水木しげる先生執筆中」

境港駅頭の「水木しげる先生執筆中」 境港駅頭の「水木しげる先生執筆中」

駅前広場に設置されていた
「鳥取県観光ガイドマップ」
「妖怪トーテムポール」
「河童の三平・タヌキ・カッパ」
境港駅頭の「境港観光ガイドマップ」

境港駅頭の「妖怪トーテムポール」 境港駅頭の「河童の三平・タヌキ・カッパ」

水木しげるロードのポール 水木しげる先生の胸像

水木しげるロードのオブジェ 妖怪神社

水木しげるロードのオブジェ 水木しげるロードのオブジェ

水木しげるロードのオブジェ 水木しげるロードのオブジェ

水木しげるロードのオブジェ 水木しげるロードのオブジェ

水木しげるロードのオブジェ 水木しげるロードのオブジェ

水木しげるロードのオブジェ 水木しげるロードのオブジェ

境港街中
水木しげる記念館
水木しげる記念館

水木しげるロードにはほかに「妖怪饅頭総本店」とか「めだま本舗」なんて店舗もあった。
境港旧卸売り市場
今回の境港訪問で、もう一つ期待していたのは境港旧卸売り市場で「市場めし」を食べることであった。
しかし、卸売り市場は水木しげるロードの 2KM先に転居していた。
連絡バスが運行されていることの看板はあったが、バスに乗ってまで行く気にならず、「市場めし」とお土産の海産物購入は諦めた。

地元の事情があるのだろうが、境港の駅近から遠い所に動かしたのはいただけない。
「水木しげるロード」と「境港卸売り市場」を集積させていれば、相乗効果で、 境港市への観光集客をより継続的かつより確かなものになっただろう、というのは想像に難くない。

境港駅も妖怪のオンパレード
JR西日本もなかなかやるもんだ

「鬼太郎列車」は、H5年(1993年)7月の水木しげるロード・オープンと同時に運行開始されたそうだ

境港駅前から境港駅を見る 境港線頭の列車、めだま号

境港駅から乗車した列車、化け猫号 列車の座席

列車の天井 列車の天井
境港(12:28)-米子(13:10)

沿線の各駅にも妖怪看板
駅名まで妖怪の名
本来の駅名は「別名」扱い

JR境港線の各駅に掲示されている駅ごとの妖怪看板-鬼太郎駅(境港駅)
JR境港線の各駅に掲示されている駅ごとの妖怪看板-牛鬼駅
JR境港線の各駅に掲示されている駅ごとの妖怪看板-つちころび駅
米子(13:39)-新見(15:51)

境港の街中に加えて境港線でもたっぷり妖怪にひたり、米子駅で伯備線に乗り換え新見に向かう

途中の上菅駅
12月末だったが、プラットホームの先半分は雪に埋もれていた

上菅駅
上菅駅

新見(15:52)-岡山(17:25)
岡山(18:00)-姫路(19:26)
新見の手前、備中神代までは雪、また、雪、の白銀の世界だったが、山越えを終えて、山陽側に出るとウソみたいに雪は全く無く、よい天気そのもの。 まさに「山陽」を実感。
あとは順調に岡山で乗換え、山陽本線で姫路に到着。
五日目:姫路から帰宅の途についた。
姫路(09:27)-米原(11:53)
米原(11:59)-大垣(12:32)
前回降車した時は工事中であった姫路の駅前広場は工事が終わり、様変わりにきれいになっていた。

以前の来姫路で、早朝大垣駅から西に電車を乗り継ぐと、姫路駅で結構休憩時間があり、駅前先の商店街の通りに朝っぱらから開店している 立ち飲み屋を見つけて利用させてもらったが、その店は残っていた。
というより、飲み屋のある通りがまさにホテルの方向で、それに気がつかずにホテルに到達したわけだが、 翌朝ホテルから駅に向かう途中でその飲み屋を見つけて、駅前再開発の位置関係が頭に入った。

残念だが、在来線としては日本最長の山陰本線(営業キロ673.8km)の完全乗車は未完となった。

今回の乗車区間は、鳥取〜米子が92.7km、松江〜益田が162.6kmの約38%、残る未乗車区間は益田〜長門市の85.1km、約13%である。