FATE 17 ある夜の出来事
昔、いや、もしかしたら、そんなに昔じゃないのかも知れないが、
俺が小さかった頃、隣には必ずアイツがいた。
隣、というより後ろだったかもしれない。
双子なはずなのに自分より一回りは小さくて、ひょこひょこという効果音が似合うような。
俺を育てていた親がぼやいたことがある。
「あの子は能力値は高くても発育が悪いから心配だよ、お前は陽気が高いから大丈夫だろうけど」と。
お前には解らないよな、と俺の頭を撫でて。
確かに、アイツは時々寝床で過ごすこともあった。
病弱というわけではなかったが、昼間は日陰でうつらうつらと寝息を立て、夕方にのそのそと起きてくることもしばしばだ。
飼い主は怒らなかった。むしろ、それをいいように思っていた。
俺は陽光の元駆け回るのが何よりも好きで、咲き乱れる花にじゃれ、深緑の濃い香りに身を投げ、去り行く雲を追い、高い太陽に憧れを抱いた。
隣には飼い主もアイツもいた。
俺は二人とも大好きだ。
こうやって、いつまでも三人で太陽に体を晒して遊んでいたかった。
きっとそれは、幸せだから。
だけど、それは叶うことはなかった。
アイツは俺とは少し違うみたいだ、と思ったことがある。
どちらかというと、夜の方が活動的で、昼間は室内にいることが多かった。
ある夜、俺は涼しい風に顔を撫でられ、目を覚ました。
閉められているはずの、ケージの扉が開いていた。
のそりとおきて、窓際にいき、外を見る。
月が出ていた。
まぁるい、ボールのような月。
昼とは違う、優しい風、淡い草木の香り、そして…
月を見上げるアイツ…
昼とは違う、夜気を纏い、長い毛並みを艶めかせて、輝く。
あんなに弱々しい昼の姿が嘘のように。
息を飲むほどの蠱惑。
鼻先がパチパチとするような不思議な景色…
若い草を踏むカサッという音がして、俺はそちらをみた。
飼い主だ。
俺に向けるのと同じ笑顔…いや、少し違う。
心なしか、柔らかい…そんな気がした。
「今日は進化できそう?」
からかうような、それでも優しく甘さを含んだ声で、縁側に腰を下ろす。
アイツは嬉しそうにその膝にのって、体を擦り寄せた。
『シンカしたら…おしゃべりできる?』
膝の上でくぅんと鳴く小さなアイツを撫でて、飼い主は目を閉じる。
なにもかもが優しい。柔らかな夜。
なんだか、悔しかった。
自分にとは違う接し方をするアイツも
アイツにあんな表情をさせてる飼い主も
目を合わせて、微笑む二人とも
なんだか急に惨めになって、俺は部屋に戻った。
ああやって、夜は二人で過ごしてるんだ。
昼は俺と一緒に過ごして…飼い主はいつ寝てるんだろう。
そんなことも一瞬頭を過ぎったけれど。
この夜から、俺は眠れなくなって、昼間庭に出ても鬱々としていることが多くなった気がする。
夜はふらふらと放浪し、欠ける月を観ていた。
本当に欠けていくのは、月なのか、自分の心なのか。
飼い主は心配そうに俺をあやしたけれど、俺にはどうでもよかった。
今思えば、俺が昼間動かないのは不都合だったんだな。
あの頃、俺の放つ気は陽気から夜気に変わっていったんだろう…
「……」
いつのまにか、眠っていた。
懐かしいあの頃。
優しく、甘い、美しい日々。
顔に纏わり付く髪を払おうと首を振ると、冷たい石壁に顔が当たった。
天井を見上げる。
高い位置から注がれる淡い月の光が、辺りを控え目に照らしていた。
額が熱い。
力を求めてる。
月の光が ホシイ。
ゆっくりと手を延ばそうとして、鈍い金属音に目を細めた。
手首から地面に延びる、長い鎖…
「目は覚めた?」
声の主を確かめるように、開いたドアに意識を向ける。
「なんだか幸せそうに寝てたからね」
「ああ」
邪魔な前髪をかきあげて、体を伸ばす。ジャラジャラ鎖がうるさい。
「ったく、逃げねぇのにこんな重いもんつけてとじこめやがって」
「あっちだってわかってるさ、用心だよ」
「逃げないように?それとも、御影に逢わないように?」
そういって凝視した俺の瞳は怖かったのか、飼い主は一瞬強張った表情をみせた。
「み、御影か…」
「研究所内に帰って来てるだろ。知ってるよ。お前あった?」
俺が知っていると答えたのが意外だったのか、飼い主は口ごもった。
「いや…」
「あっそ」
再び天を仰ぐ。
「どうやら…記憶が少し喪失しているらしい」
「あっ…そ…」
だろうな。
だって帰ってきてたら真っ先に逢いたいって騒ぐだろ。
アイツ、飼い主に懐いてたし。
俺いないとなんも出来ないし。
ぴょこぴょことついてくるアイツの姿を思い出した。
「稚陽呂?なに、笑ってるの?」
俺は向かいにいた 『俺たちの飼い主』に視線を移す。
「…いや、遠い昔を、思い出しただけさ…」
07/05/25