旅する言葉 2003年
テクニックを含め何かにとらわれていると、それがある故に入り込めない世界がある。
その世界はとてつもなく大きな根源の世界である。
その世界に入り込むには 方法というものはない。
人としての私を通して表現されたものは、人に伝わりやすい。
お金では本当の自由にはなれない。
〜な自分を無理なく自然に好きになれたら、どんなに素敵な事だろう。
テクニックだけでは分かちあえないものを分かちあいたい。
まわりとの係わり合いをも含めたいきいきとした道
私達はあらゆるものと係わり合いの中で生きている
自分だけで成り立っているものは何一つない。
わかりやすく言おうが言うまいが、
伝わるものは伝わる伝わらないものは伝わらない。
なにかと比較して幸せを感じるのではなく、
ただ訳もなく幸せと感じられたらどんなにすばらしいだろう。
〜2月9日2003年
人は不安になるとそれがゆえにまわり(自分以外)からの情報をほしがる
そして、安心したがる。
しかし、あらゆる情報は自分の中にある。
あなたの存在は
宇宙にとって
必要とされている。
方法とは目に見えない 形ではないか。
行なってみたその範囲からの事を語る。
枝葉の部分から出した音には
枝葉の部分しか響かない。
根の所から出た音は
全てに響く。
趣味をしていないとやってられないのは、社会(社会のシステムに)
はまっている証拠。
都合のいい時だけやるボランティアは、真のボランティアではない。
今の日本は飢えて死ぬことはない、
この世界でも特徴的な環境でしか出来ない事はなんだろう。
今、自分が出せるものを全て出す。
特別な状態の時ではなく、普通の状態の時“気づく”のがいいのかもしれない。
なぜならば、特別な状態にとらわれてしまい、普通の状態になったとき“気づき”は
変わってしまう、
しかし、特別な状態での“気づき”はチャンスでもある。
〜5月18日2003年
自然界の色は生命そのものから自然に発せられたものである。
その人の生命を通して発せられたものは・・・・
生命そのもの
自然そのもの
宇宙そのもの
人間の脳は数十パーセントしか使われていないという、
しかし見方(視点)を変えれば、
それは、すでに(回路を保つ程度は)使われているかもしれない。
エネルギーが近いといがみあう。
生命は本来、そのエネルギーの大きさによる優劣は存在する。
それは、人間が思考した優劣とは違う。
テクニックや方法は色々な人達から教わればいい、
それだけでは得られないものを共有したい。
テクニックや方法からでは得られないものを共有したい。
枝葉の所だけで生きていると葉も枝も細くなりエネルギーが滞りやすくなる、
枝も葉も正常な太さや大きさで生きていき、のびのびとするのがいい。
生命そのもので
のびのびを生きる。
根からの音。 枝葉のみの音。
とらわれがあると感じられない世界がある。
テクニック、方法、理論、理屈などからだけでは、
分かちあえないものを分かちあいたい。
私達はこのすばらしい世界の真っただ中にいるのに、それを感じる事が出来ない。
このすばらしい世界を共に感じたい。
言葉――――>日々の生活
↓ 行い
音楽・・・・
赤ん坊や動植物には表面上の言葉はいらない
言葉をほしがるのは大人だけ
それもある意味必要な事なのかもしれない。
趣味の範囲だけでは、その範囲の事しかならない。
(ここでいう趣味とは、都合のいい時だけやるという意味)
都合のいい甘い言葉だけでは、大きな愛ではない気がする。
平和を外に向けてだけ表現するのは、
内(自身)に平和がおとずれていないからではないか。
意識的に命がけで
自分の道だとおもう道を、歩んだ事があるか。
人のよろこびは、人にしかわからない。
人の悲しみや苦しみは、人にしかわからない。
その事は知識の範囲だけでわかっているのかどうか?
日々の生活でそれが自然と行われていたら、知識を含みそれ以上わかっている。
〜11月23日2003年
何ものぞまない
何ももとめない
そして
ただただ没入してください。