旅する言葉 1992年12月

 

 

人間が考える事、作り出すこと。それには矛盾がないことなどありえない。

 

12月 2日 1992年 Malaga,Spein.

 

 

スペイン広場で日本人らしきカッコいいやつを見た、

広場の階段で寝ているやつだが。 日本人もすてたものじゃないぜ。

 

12月 3日 1992年 Sevilla,Spein.

 

 

雨が降ったりやんだりだ。枯れ葉は舞い、人は明るい。

 

 

堕天使はそこら中で見え隠れしているようだ。

 

 

素晴らしい芸術家がスペインで生まれるのが、わかる様な気がする。

 

 

学生だろう、制服を着た少女がティッシュを通りがけの人に売っている、

まだ若いのに、ほおに少しかげがある。

彼女が一瞬通りに視線を下ろした時、なんて悲しげなのだろう。

 

 

なんでもいいのだが感動出来る事ができたら、それにこしたことはない。

しかし、芸術においてその作品の意味や作る上でのなりゆきを知った上でのみ

感動出来る作品は本当の芸術とは呼べない。

 

12月 4日 1992年 Sevilla,Spein.

 

 

本能というのは考えた行動ではない。

本能を出すということは、いま自分がおかれている立場や情報を捨ていかに

考える事をやめるかということにかかっている。

しかし、自分は考えないで行動することなど出来るのだろうか、

それに考える事じたい本能になってしまっている事はないだろうか。

 

 

考えることをやめる事によって本能は自然に出てくると思うのだが、

その時とる行動が本能で自分すら予想出来ないだろう。

 

12月 5日 1992年 Seilla,Spein.

 

 

俺はもうフラメンコのとりこになってしまった。そしてジプシーの彼女の。

 

12月 7日 1992年 Selilla,Spein.

 

 

あるものに感動し、それに近づこうとする。

たいてい技術面だけをまねようとする、しかし本当はイメージを近づけよう

とするのがいいのではないか、技術を近づけようとするのはたやすい事だ、

それに技術をまねしたからといってそれがなんなんだろう。

しかしイメージを近づけるのはむずかしい、自分でためし・・・

技術に逃げてはだめだ、逃げてはだめなのだ。

 

12月12日 1992年 Madrid,Spein.

 

 

スペインも、もう冬。女性達は毛皮を着飾って教会に行く。

それぞれ違った毛皮を着ている、結局はみんな似たりよったりなのだ、

でも彼女達は私のは「ここが違うのよ。」で一応満足しておしゃれを

楽しんでいる。

大多数の人々は、自分の立場やレベルなどの世界で自己満足を

楽しんでいるのだ。

 

12月20日 1992年 Segovia,Spein.





もうすぐで、ガウディにあえる。

 

12月21日 1992年 Barcelona,Spein.

 

 

ガウディにあった。

すばらしい。

彼の空間とバランス、そしてリズム感。

俺は建築で初めてリズム感を感じた。

 

12月22日 1992年 Barcelona,Spein.

 

 

タピエス。  凄すぎた、あのバランス感と彼のカン。

特に、シンプルな作品はよかった。

 

12月24日 1992年 Barcelona,Spein.

 

 

今は、ジャズを聞きながら勇気をだしてノートを書く。

 

 

レコードは終わり、しかしまわりつづける。

針は無音をかなで、俺はおもいをめぐらせる。

 

              12月29日 1992年 Barcelona,Spein.



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