旅する言葉 1992年5月
パリの雨上がり、
日がかげったら少し歩こう。ベンチに日が差し込んだらベンチに座ろう、
そんな時の流れ。
少しつめが伸びたみたいだ。
左の親指はルクセンブルグ公園で、人さし指はどこでけずろうか?
サッチモとノートルダムちょっと粋だぜ。
5月 1日 1992年 Paris,France
空間とバランス それと生命を宿さなければならないのか?
だとしたらその方法は?
5月 2日 1992年 Paris,France
生と死。その意味、あたりまえの様に時が流れる。
5月 3日 1992年 Paris,France
人はみな自分のイメージによって行動しているのではないだろうか。
5月 7日 1992年 Paris,France
人がつくり上げるものは「錯覚」なのだろうか、「イメージ」それは
人が思考する事であり錯覚にすぎない。
5月 9日 1992年 Paris,France
人を撮るということは、俺が人を見る目であり人が何を感じているのかそれを
自分なりに理解しなければならないと思う。それには被写体である人間がいま
まで生きて来た時間、そして今の時間に何に感じたか、俺は全てに感じなけれ
ばならない。これは抽象的だが人間を撮るということはこういう事だと思う。
そして、人間を主題とした芸術は全て同じだとおもう。
5月24日 1992年 Paris,France