さよなら、ふくちゃん   ごんふく増刊号特別編


元気だった頃のふく。福岡・高宮のベランダにて

2009年5月30日の早朝、我が家の愛猫「ふく」が天国に行ってしまった。

ふくを福岡で拾ってきて12年、一緒に暮らし、福岡から千葉まで飛行機ではるばる遠い旅をし、数々の思い出が山のようにある。
ほんの小さな命だが、わたしにとってはかけがえのない生きものだった。だからこそ、ふくの生きてきた時間をこうしてここに残しておきたい。


ふくの具合が悪くなったのはゴールデンウイークの終わりの頃。
福岡に帰省していたわたしが、市川の家に戻ると、ふくがだらりと鼻水をたらしている。
「風邪!?」と思って、5月5日にいきつけの動物病院に連れて行った。黄色い鼻水で、これだと鼻から呼吸が出来なくて苦しそうだ。
病院で検査をしてもらい、抗生剤や、鼻の通りを良くする点鼻薬をもらってきた。貧血も起こしているようだ。
おまけに鼻がきかないためか、ごはんをほとんど食べようとしないため(においがわからないのは、動物にとって致命傷である)、さらに5月10日にも病院へ行き、流動食のようなやわらかいフードの缶詰を出してもらい、以後、ずっと毎日、わたしが手ずからふくに食べさせてやることになる。


いつも用意しているキャットフードをふくが食べないので、口をあけさせ、病院でもらったフードを朝夕やると、そのときは咀嚼して、どうにか飲み込んではくれる。あと、抗生剤も飲ませなければならない。
これは錠剤で、猫はいやがるので、タイミングよく飲ませなければならず、こちらは配偶者にお願いした。
配偶者も休日出勤の代休で休みを取って、ふくを5月14日にふたたび病院に連れて行ってくれたりしてくれた。
わたしが食べさせてやってると最初は飲み込んでくれるのだが、やがて前足でいやいやをするようにして、食べてくれない。だから、1回の食事量は缶詰の何分の一か。
かつて太って6キロもあったころには、しょっちゅうキャットフードをぽりぽり食べ、夜中もまた食べている食欲の旺盛さに「また食べよる〜! おまえはほんとに、いやしんぼばい」と言ってたのがうそのようだ。
それに鼻水をテッシュで取っても取っても、すぐに垂れてきている。
見ているだけで苦しそうだし、かわいそうだ。さらに病院で体重を量ると3.5キロもない。昨年春のワクチン注射の時には5キロあったことを考えるとかなりの激やせだ。
ほとんど動かず、猫用カーペットや、わたしの部屋の座椅子でただじーっとしていることが増えてきた。
しかし、5月15日にはわたしが帰宅すると、玄関先まで迎えに出てくれるまでになったので、元気になってきているな、とそのときは思ったのだ。そしてしつこく出ていた鼻水も止まった。
もっとフードを食べるようになってくれたら、栄養がつくのに、と思いつつ、この頃のわたしは、ふくがそのうち元気になって回復することを疑っていなかった。


1998年ごろのふく。まだそんなに太っていない頃

しかし翌週、鼻水のかわりに、こんどはふくがひどいよだれをたらしているのに気づく。
あわててネットで調べると、口内炎の症状のようだ。
フードもますます食べる量が減り、口をあけさせて入れても、すぐにまたいやいやする。たぶん、口の中が痛いので食べるのもつらいのだろう。
5月20日、帰宅してふくをいつもの病院に連れて行くつもりだったが、配偶者からメールできょうは水曜日で休診じゃないかと連絡が入っている。
あわてて、その病院が臨時休診のときに、以前連れて行ったことのある別のT動物病院に電話をかける。
診療時間の終了まで15分ほどしかなかったが、すぐにつれてきなさいと言われ、わたしはあわてふためきながら、ふくを猫用バスケットに入れて家を出た。T病院までは歩けばけっこうな距離だ。
ところがタイミングよく、タクシーの空車が通りかかり、わたしはなんとか7時前にT病院に着くことが出来た。

やはりふくはひどい口内炎にやられていた。
さらにやせて3.2キロに体重が落ちている。食べられないのだからここまでやせてしまうのだろう。
栄養剤の注射をしてもらい、目やにも出てるので点眼薬をもらう。
帰りは近くまで配偶者が迎えに来てくれることになり、病院の近くのコンビニで待つことに。
ふくが時おり「みゃあ」とか細く、弱弱しく鳴く。いかにもしんどそうで可愛そうになってしまう。


結局T病院には5月24日の日曜日にもふくを連れていった。
また体重が減って3.1キロ。T病院の先生も体重の急激な減少が気になるらしく、このままずっと減り続けると体力も持たなくなるから、なんとか体力付けさせましょう、と言う。
多めにかなり太い注射で栄養剤を注入してもらう。


ふくを抱っこすると、背中の骨のごつごつした感触がもろに伝わり、激やせぶりがいやでもわかってしまう。
お腹周りにたっぷりついていた脂肪が、うそのようになくなって、そこがたるんだようになっている。
以前はだっこすると「重たい! 手がだるいよ〜」と言ってたものなのに。
おしっこは猫用トイレでやっているが、ウンチはいきむときのふんばりがきかないのだろう、お尻にくっつけたままになっているので、赤ちゃん用おしりふきを買ってきて、毎日わたしがふくのお尻を拭いてウンチを取ってやっていた。
椅子に飛び乗る体力もなく、部屋の中を歩くのもヨタヨタ・・とするようになってきた。


この頃になると毎朝目が覚めたとき、会社から帰宅したとき、ふくがちゃんと生きているか、気が気でなくなってくる。
朝起きて、わたしの部屋の座椅子に寝ているふくの頭がかすかに上下しているのを見て「あ、呼吸している」と生きているのを安堵する、という朝が続いた。
T病院の先生からは来週末、また診せに来てください、と言われたが、相変わらずフードもほとんど食べてくれないので1週間を待てず、5月27日にまたわたしが会社から帰宅後、ふくを連れて行くことにした。


昔は猫用バスケットにふくを入れて歩くと、彼の体重の重さに、疲れて途中で幾度も休まなければならないほどだった。ところがなんということだろう、バスケットの中のふくは余りにも軽く、T病院まで歩いていっても、重さで途中休憩などすることもなく、それが、わたしの心をますます不安にし、重みのないバスケットがただただ悲しかった。
おまけに知らないところに連れられると不安でみゃーみゃー鳴く子なのに、それだけ体力が低下しているからなんだろうか、鳴き声さえ出さない。
こんなに体重が減ってやせるなんて、いったいどうなるのだ、大丈夫なのか・・

病院での計測は3.05キロ。また減ってる、とさらに心配が募る。このままでは3キロを割り込んでしまう。
ふたたび栄養剤を注射してもらい、フードを食べないので、ジェル状になっててなめられる、高カロリーの栄養チューブをだしてもらう。なんとしてもふくに元気になってもらわなくては。
先生からは「また週末に来てくださいね」と言われ、わたしも今後は当分、病院通いが続くなー、と覚悟した。
5月だけですでにふくの治療費は5万円近く。
ふくの状態だと、6月はもっとひんぱんに連れて行って様子を見てもらわないとだめだろうし、お金も入用だ。
それでふくのためにお金も余計に銀行から下ろしてきていた。


ふくが食べてくれる量は明らかに減り、ほとんど何も食べられないような状態。
それでも台所にわたしが立つと、しんどそうな体ながら、わたしの足元に寄ってくる。
その日はカツオ料理を作っていた。
お魚と見れば、真っ先に台所に飛んできて、おねだりをする子なのだ。わたしはちぎったカツオをためしにやってみたが、結局、まったく食べようともにおいをかごうともしなかった。
あんなにお魚大好きだったのに、こんなことは考えられない。
食べたくても食べられない、ふくの体調がかわいそうでならない。


それに気になっているのが、貧血と言われたこともあってか、ふくの体温が下がってきてたこと。
ふつう、猫をだっこするとぽかぽかして暖かいのに、ふくをだっこしてもひんやりしているのだ。
わたしはずっとふくの介護をしながら、どこか楽観的に、もう少ししたら回復して、ご飯を食べられるようになったら、また元気になってくれる、と言い聞かせてきたが、ここにきてはじめて、

「ふくちゃんは、もう長くないのかもしれない」

という考えがよぎるようになった。
しかし恐くてそんなことは口に出せず、配偶者にもそのことは言わなかった。配偶者のほうもふくの病状にそう思ってたみたいだが、やはりわたしには言わなかったようだ。
駅前スーパーではペット用品売り場が新装され、わたしは一番やわらかそうな高齢猫用フードを買おうとしたが、そのとき不意に涙があふれてきた。
考えを振り切るように帰宅して、ふくにフードを食べさせようとしたが、もう口に入れたものは咀嚼も飲み込みもできずに、口の中に残るばかり。ジェル状栄養剤もやってみるが、なめようとしない。
「ふくちゃん、がんばって。土曜日にはまた病院行くよ。注射打ってもらうからね」。
それまではよろよろしつつも、わたしが座椅子にいると、膝によじのぼって来ていたふくだったが、5月29日の晩は、それもしんどそうなので、わたしが抱き上げて膝の上にのせてあげた。
やせたとはいえ、典型的な猫っ毛のふわふわやわらかい体毛は、撫でるとやっぱり気持ちいい。
とはいえ、ふくの見開いた目がどこかどんよりして、もうよく視えていないのではないだろうか、という心配がよぎる。
わたしの座椅子に猫用の水色の毛布を敷き、もうちょっとだ、がんばってね、と声をかけて寝かせた。


それが生きているふくを抱っこした最後だった。
週末に受診予定のT病院へは、もう行くこともなかった。
5月30日、5時20分ごろ、「ごん」の鳴き声に導かれるように、わたしの部屋へ様子を見に行くと、ふくは目を開いたまま、わたしの座椅子の上でひとり、息を引き取っていた。


「ふくちゃんが死んでる!!」

わたしはすぐに配偶者を起こして知らせた。おんおん泣いた。
連休おわりに病院に行ってから1ヶ月足らず、余りにも早いお別れだった。
わたしは泣いてばかりなので、配偶者がネットでペットの葬儀屋さんを調べて、午前中にもクルマで連れていって火葬してもらうことにした。
ふくの体にはまだ少し、ぬくもりが残っていたので、わたしがみつけた時間より1時間ぐらい前に亡くなったのではないかと思う。
我が家は夫婦共働きなので、昼間は様子を見てやれない。その分、朝晩は介護してあげたつもりだったが、それでも、去年のように主婦生活だったら昼間もっと見てやれたんじゃないか、毎日でも病院に連れて行くべきだったんじゃないだろうか、なんかもっと栄養をとらせるてだてがあったんじゃないだろうか、と次々に後悔がわいてでてくる。
そのたびにわたしはしくしく泣き、今度は元気だった頃の様子が思い出され、こんなことならもっともっと遊んでやればよかった。寄ってきたり、膝の上に載ってきたりしたときに、
「じゃま!」とか言って、邪険にしなければよかった、もっともっと抱っこしてやりたかった・・
と、とりかえしのつかないことどもに、またさらに泣けてきてしょうがなかった。
ついこのあいだまで、ふくが死ぬことなどを考えてもいなかっただけに、急な永遠の別れに、後悔ばかりがこみあげてくる。


昨年(2008年)の夏。この頃は便秘はあったものの元気にしてましたが・・

ペットの葬儀屋さんは、我が家がよく買い物に行くホームセンターの近くにあった。
わたしの心のように、雨が降っていた。
冷たくなってしまったふくを、わたしはずっとクルマの中で抱っこしていた。
そしてふくに食べさせるはずだったフードと、花束を用意し、バスタオルにくるんだふくの遺体に添わせ、いよいよ火葬する、というときに、わたしはやはりこらえきれず、ふくにとりすがって「ふくちゃん、さよなら、ふくちゃん、さよなら!」と号泣した。12年間の想いがいちどきに押し寄せ、そしてもう二度とふくちゃんに会えないという事実があまりにも悲しすぎた。
1時間ほどして、ふくは真っ白いお骨になって戻ってきた。
葬儀屋さんの係の男性が、丁寧にちっちゃいお骨まで拾ってくださってありがたいことである。
でももう、二度とふくに触れられない。抱っこもできない。いっしょにあそぶことができない。


それにしても土曜日の早朝に亡くなるなんて、なんと飼い主孝行の猫だろう。
わたしも配偶者も会社を休まなくてすんだ。
平日なら、こうはいかないし、わたしは泣きはらした顔で出勤していたかもしれない。
だけど土日はやはり、ふくのことを思い出しては泣き、また思い出しては泣き、の繰り返しで、泣きつかれてくたくたになってしまったような状態だった。


とっても甘えん坊の猫だった。
ふくを拾ってきた子猫時代については、わたしのサイトの初期に書いている。
ふくとの遭遇

足元に寄ってきてすりすりと顔を押し付けて甘えることが多かった。
わたしが台所で料理を作っているとこういう行動をすることがひときわ多く、「もう、忙しいのにじゃまだな〜」と、つい言ってみたり。
どうやら、猫にとっては台所で仕事とか言っても関係なく、猫にしてみればなにか飼い主のわたしが遊んでいるように見えるらしい。だからかまってほしくてすりすりをやるのだ。
たしかにこの「すりすり作戦」にはお手上げになる。このしぐさがかわいくて、つい抱き上げて
「もう、お前はかわいいね〜。こんなにわたしに甘える猫は、世界中探してもお前だけだよ」と言ってやったものだ。

ふくは特にわたしがパソコンを使っているとすぐにわたしの部屋にやってきて、わたしの椅子に前足をかけ、おねだりするようにわたしを見上げて、ぴょんとわたしの膝の上に飛び乗ることが多かった。
リビングの椅子の上に座っても来ないのに、なぜだか、PCの机の前の椅子にいると、膝に乗りたがる、という行動パターン(しかし、食事中に配偶者がリビングの椅子に座ってると、よじのぼるようにしてふくは来ていた。わたしでなくて、配偶者のほうである。猫の行動原理ってよくわからない)。


ベランダに出してやると、お腹を見せてごろんとひっくり返ったり、ひところはお腹丸出しで無防備に昼寝することが多かったふく。こんなんじゃ野良猫にはもう戻れないよ、と言ったものだ。
わたしが座椅子で本を読んでいると、どこからとなくやってきて、たちまちわたしのお腹の上、膝の上によじのぼっていたふく。
わたしが布団に入って横になると、すぐに布団めがけてやってきて、わたしの横で寝たがったふく。
基本的に、飼い主のそばにいると体温で暖かいから安心するのだろうか。
ふくとお布団で一緒に寝ると、ふくも体を丸めわたしにくっつき、すっかり安心し切って眠り、そんなときわたしはとてつもなく幸せな気分になれた。


死ぬ前夜のふく。顔がすっかりやつれてしまっている

ふくのことを書き出すとキリがない。
2001年4月には脱走事件も起こしている。
パソコンの配線工事のため、業者が来たときだったが、うちの猫はとにかく人見知りで、わたしたち夫婦以外にはまったく懐かない猫だったため、ふくもそのときパニック状態で、あっというまにベランダから隣家の屋根に飛び乗り、外へ出てしまったのだ。
しばらく探したけど見つからない。
それからふくが帰ってくるまで約1週間、心配でしょうがない毎日をすごした。
「迷い猫」のポスターをPCでつくって、近くの電柱に貼って回り、猫の行動範囲は狭いからと聞いて、町内を探し回って、こういう猫見ませんでしたか、と近所の人にポスターを見せて聞いて回ったり。
夜中に猫の鳴き声を聞いて「ふくちゃんだ!」と飛び起きたものの、声だけで所在がわからず、心配で眠れない夜を送った。雨が降ると、ふくちゃんが雨にぬれてかぜひいたらかわいそうだ、と泣けてきてしまう。
結局、家の近くまで戻ってきてたところを、苦労の末、1階の大家さんにも協力してもらい(大家さんちの庭にまわりこんでつかまえようとした)、ようやくつかまえ安堵したことを思い出す。
あのときも「もう二度とふくちゃんに会えないの!?」と思っただけで悲しくなったが、結局はまたもとのようになにごともなく高宮の家での暮らしに戻っていった。
だが、今度は本当に二度と会うことが出来ないのだ。


ふくはここ数年、ガンコな便秘に悩まされ(汚い話で申し訳ないが)、福岡に居た頃から、浣腸してウンチをだしてもらったことがあった。
市川に引越し、かかりつけの動物病院をみつけてからは、ほんとうにしょっちゅう、便秘になるたびに浣腸してもらう事が続き、昨年からは3〜4ヶ月に一度はそのための病院通いで、下剤をずーと飲ませ続けていた。
ふくは先天的に骨盤のところが狭く、便秘になりやすい体質だったらしい。
昨秋は、膀胱炎になって、たまった尿をだしてもらう処置までしたが、今から思えばその頃からもう、ふくの体が弱りつつあったのだろう。
高いところにぴょんと飛び移ることがだんだんできなくなり、椅子に座っている配偶者の膝にとびのるときなど、前足の爪を配偶者の足に立ててよじのぼろうとするので、配偶者には、ふくの爪でひっかかれたあとが残るようになった。
いやしんぼといわれたほどなのに、キャットフードをあまり食べなくなり、買い置きのフードもなかなか減らなくなってきていた。
でも、まさか、こんなに早く死んでしまうとは。
猫を飼っている友人知人の話を聞くと、20歳まで生きたとか22年生きたとか聞くので、少なくとも15〜6年は生きるだろう、と自分の中では勝手に思い込んでいたところがある。


いつだったか事故死したお子さんの親御さんが、
「我が家ではしつけをキチンとやろうと、けっこう厳しく言ってきたんですが、こんなに早く天国に行くなら、もっと甘やかしてあげればよかった、と思ってしまうんです」と涙ながらに語っていたのを思い出す。
わたしもその気持ちがよくわかる。
突然、永遠にわたしの前から旅立ったふくちゃん。
甘えてきたんなら、もっと甘えさせればよかった。
抱っこをねだってきたんだったら、面倒くさがらず、だっこしてあげればよかった・・
もう一度ふくちゃんに会いたい。
もう一度抱っこしたい。化け猫だってなんだっていいから出てきてほしい。
でもそれはもう叶わない。


ふくが死んだあと、大量の薬が残された。
下剤、抗生剤、栄養剤、飲み込んだ毛玉を溶かすための薬、点眼薬。
ふくはいないからもう必要ないのに、わたしはいまだに捨てられずにいるのだ。
何かの拍子で、ふくが帰ってきたら、また飲ませてやらないといけないじゃないか・・でもそんなことはないのに。


死にかけていた、片手の手のひらに乗るほどの、ちいさなちいさな子猫だったとき、わたしは彼を拾ってきて飼い主になって育てる決意をした。
そのときから、ふくの運命はわたしの手の中にあって、さいごはわたしの部屋で生涯を了えることになった。
いつかある猫好きの漫画家が「やわらかくてあたたかい生きものを、抱きしめて暮らせるのは幸せなこと」と書いていてすごく共感したのを思い出す。
別に見返りなんていらないのだ。
抱っこして、ふくのその温みを感じ、ごろごろとのどを鳴らすのを聞いているだけで、わたしは幸せだった。
猫を飼いたくても飼えず、やっと広いアパートで猫を飼えるようになったときはうれしくて、ふくのしぐさひとつひとつが新鮮だった。
猫と暮らしている、ただそれだけで楽しかった。


去勢手術したのは生まれて8ヶ月か9ヶ月のときだった。
動物病院の先生からは「生後何ヶ月とかじゃなくて、3キロ超えたらもう去勢していいですよ」と聞かされていたが、子猫のふくはみるみる大きくなってあっというまに子猫の面影を脱していたときだった。
「ごめんね、お前一生、童貞だな」。そんなことをふくにあやまって動物病院に連れて行ったのを思い出す。
その後は動物病院でも「太りすぎだね〜」と苦言を呈されるほど太ってしまい、去勢後のホルモンと室内飼いの運動不足で仕方ないかな、と思っていた。
でも「でぶ、でぶ」とからかったのは悪かったね、ふくちゃん。
あのふくよかなお前が、こんなに最後はやせ細ってしまうなんて、思いもしなかったよ。


なんだか今でも、どこからかふくが「みゃーん」と現れてきそうな気がする。
とことこ歩いてきて、わたしが新聞を読んでいようが、小説を読んでいようが、今にも膝の上にむりやりよじのぼって来る錯覚を覚える。
臆病で食いしん坊で、とっても甘えん坊、虫が好きで、夏場、部屋にカナブンが入ってくると、夢中になっておいかけていたふく。ベランダにすずめの声がすると気になって低めの「みゃわわわわ・・」という声を出して興奮していたふく。
ふくと過ごした日々はかけがえのないものばかり。
わたしはほんとうにお前と一緒で楽しかったよ。
残された「ごん」もいっそうかわいがって行くからね。いつかどこかで会えたら、いっぱい抱っこしてあげるよ。

この世から姿はいなくなっても、ふくは数多くのものをわたしに残してくれた。
ささやかな命、ささやかなふくの12年間だったけど、わたしには何ものにも替えがたい、幸福な日々だった。
(2009年6月14日)