泉岳寺をたずねて(2007年12月14日)


泉岳寺の境内

12月14日は、言わずと知れた赤穂浪士の討ち入りの日。
東京には四十七士のお墓がある泉岳寺があるのでたずねてみました。

実は福岡市南区の興宗禅寺というお寺には、泉岳寺の四十七士のお墓を模した墓地があるのです。
いわばレプリカなのですが、毎年12月14日には「福岡義士祭」というイベントもおこなわれ、当時の住まいからも近かったため、見に行ったこともあります。

「忠臣蔵」は、なぜか日本人によく好まれる題材で、お芝居や映画やテレビドラマになったことは数知れず。
「主君のカタキをとった」という忠君愛国美談というより、最近ではむしろ、近代法治国家の元で、「敵討ち」ができないことへのカタルシスが赤穂浪士へのシンパシーにつながっているような気がします。イマ風に言えば、赤穂浪士って「47人のテロリスト」なんですけどね。

わたしが小学校4年生の頃、「鉄道開通100周年」にちなみ、担任の教師から「鉄道唱歌」を覚えさせられ、学芸会で歌った記憶があります。
その中の歌詞、「みーぎは高輪、センガクジ〜、しーじゅうしちしの墓どころ・・♪」
と、意味もわからず当時は歌ってました。九州の片田舎の子どもですから、高輪も泉岳寺もそれまで、聞いたことがない。
泉岳寺や四十七士のことばの意味を知るのは、もっとあとのことなのでした。


浅野内匠頭の墓

都営浅草線に乗車し、駅名もそのままの「泉岳寺」で下車。
12月14日当日とあって、改札口には泉岳寺への案内板が出てました。
地下鉄の出口から地上に出ると、もうすぐに泉岳寺の門が少し先に見えています。
しかし、やはりというか、まさに討ち入りの日とあって、参拝客の多いこと、多いこと。
お賽銭をあげ、四十七士の墓へ行こうとすると、そこはすごい行列。「中に入れるまで30分待ち」と言われました。

当日はお天気もよく、冬としては暖かだったので少々待ち時間があっても気にならなかったのですが、ようやく墓地に中に入ってみたら、すごい煙。
参拝客が墓前に供える、お線香の煙がもうもうとわきあがり、いやはや、もう、むせるほどすごいのです。服にまでお線香の匂いが染み付いてしまうんじゃないかと思うぐらいの煙たさ。

人の多さもあって、お参りの行列もなかなか進まず。
しかし、さすがに年配者が多かったです。わたしでもこの中に居れば若輩者ですね(笑)。
わたしの後ろに並んでいたおじいちゃんは広島からわざわざ来たと言ってたし、泉岳寺をめぐるツアーなのか、団体客のおじいちゃん、おばあちゃんたちもたくさん。
またまた30分以上かかって、墓地をめぐり終えました。
大石内蔵助のお墓は、他と比べ一段と大きく、お参りする人もそのへんで渋滞。
そうそう、わたしのすぐ後ろの60代後半と思われる男性は「四十七士の名前を全部言える」と自慢しておりました。

煙にむせて、ごほごほ言いつつ、あとにした泉岳寺。
12月14日は討ち入りの日、で定着してますが、これ、旧暦の日付なんですよね。
実際は西暦で言うと1703年の1月30日。江戸に雪がかなり降っていたことを考えると12月より1月のほうが納得なのですが、いまや年末の風物詩のひとつになっているような。

ちなみに、この日は朝から空気が澄んで、空も雲ひとつない抜けるようなくっきりとした青空。
そのせいか、東京へ向かう東西線の電車から、富士山が稜線まで、はっきりときれいに見えました。
思ったよりも大きく見えてびっくり。市川市からも富士山が見えることに感激です。


堀部安兵衛の墓。逆光と線香の煙でこんなにしか写らなかった(^^;

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