紀伊國屋書店サザンセミナー「世界文学への誘い」(2011年6月30日・紀伊国屋サザンシアター)

河出書房新社から発刊の池澤夏樹氏個人編集「世界文学全集」全30巻の完結を記念しての、シンポジウムです。
当初は、今年の3月23日に予定されていましたが大震災の直後で、首都圏は交通機関の混乱や余震も続いていたこともあって中止・延期に。
そしてあらためての開催です。
第一部は「世界文学と翻訳」を糸口に、売れっ子翻訳家の鴻巣友季子氏、柴田元幸氏を迎えて池澤夏樹氏との鼎談、第二部は池澤氏が作家の辻原登氏と主に、19世紀の文学を媒介としたおふたりの文学世界を存分に語っていただいています。

例によってこの手の講演では撮影、録画が禁止だったので、当日のわたしのメモをもとに書き起こしております。
うまく聞き取れなかったり、メモが追いつかなかったりで、十分に再現できないのが残念ですが、とてもエキサイティングな文学論を聴くことができました。割愛した箇所、お話のつながりがスムーズでない箇所も多々ありますがご容赦ください。
場所は新宿駅南口の高島屋の7階、わたしは会社のある四ツ谷から丸の内線に乗って、新宿三丁目で降りて歩きました。逆に新宿駅で降りちゃうと出口がわからなくて迷ってしまうので(^^;

第一部 19:00〜20:00 シンポジウム

池澤 まず、30巻出し終わった総括と反省を。
当初はこんなことをやっていいんだろうか、身の程知らずではないかと。
叡智をを集めるのではなく、ひとりでやってしまって「世界文学全集」というタイトルを使って押し切ったし、何よりこの時期にこいうものを刊行して河出は大丈夫だろうか? って思いました(笑)。
でもこの企画に支持と支援が集まり、当初24巻刊行の予定が30巻になりました。
支持をいただいた理由は全集であること、日本人ってセットであることが安心なんですよ(笑)。それから「翻訳文学」の敷居の高さがあるため、それにつまづかないように「月報」を毎回入れるようにしました。
文学全集は英語で言うと「collection」、全部って意味ではないけど日本語は「全集」って言うんですよね。
いい翻訳を提供してもらえることで初めて成立した企画です。翻訳も本当によくなった。

鴻巣 この話をいただいたとき「ヴァージニア・ウルフ」をやりますか? って訊いたんです。
「どなたか、もう決まってますか?」「決まってないならわたしにやらせてください」って。
「灯台へ」をすぐにやります、と言って。
ウルフは翻訳できない、訳しにくいということで有名です。でも彼女の自由間接話法で、文学が自由な地平へ飛び立ったと思います。命をかけてウルフの翻訳をやってみようと。

池澤 翻訳家の方々からは「これを入れたい」という圧力もあって・・(笑)
今まで翻訳文学というものは「原文で読みたいけれども読めない。訳してほしい」というところから、英文学、仏文学の大家が自分で選んで訳す、あるいは弟子に訳させる、そういうものだった。

鴻巣 名作とは、同じように読まれて価値が変わらないもの、という認識がありました。
日本では150年前にすでに翻訳理論があって、本場に追いつこう! とモーレツに翻訳をしています。ただどうしても西欧中心です。

池澤 今ではどこが中心、ということはなくて、グローバルに広がってると思いますね。

柴田 あのぉ、僕は最初の24巻に入れてもらえなかったんです(笑)。(注・第3期の27巻目で柴田氏訳のコンラッド「ロード・ジム」が発刊)。
良い文学は翻訳されることでより豊かになる、って言われますけど、翻訳者ってそんなにエラいかなぁって。
僕、翻訳は原語よりも劣らざるを得ないって思ってしまう。ロシア文学やイタリア文学の翻訳はそんなことを思わず読めますが、英語だと・・

池澤 それは、英語を読めてしまう不幸ですよ。
僕、先日、イギリスで翻訳のシンポジウムがあったので出席したんですけどそこでも、
「原文と翻訳って並べるけれど、それはありえない、原文で読めないから翻訳を読むのであって比べるのはナンセンス」だと言われてましたよ。

柴田 僕、「ロード・ジム」を翻訳しましたが、コンラッドっておかしい作家なんです。
ベケットカフカとつながるおかしさです。あまりにシリアスなんでコミカルになっちゃう。
そういう面をハイライトにした訳にしてみました。一番伝えたかったのはユーモアです。

池澤 柴田訳・アメリカ文学全集って浮かんできますが、そういう計画はないんですか?

柴田 五年後を見据えて、なんて言われるとイヤです。今、目の前に本があって、それを翻訳して出してくれる出版社があり、その場その場でやってきてますから。

池澤 全集を編集しながらあとになって、女性作家が多い、植民地出身者が多いって、自分の傾向が見えてきましたね。

柴田 僕は授業でも(注・柴田氏は東大大学院の教授)、「自分の好きなもの」を選びます。学生からも「先生の取り上げる作品は偏ってる」って言われて(笑)。
折り目正しいリアリズムより、幻想的なものが好きです。

池澤 鴻巣さんの翻訳は女性作家が多い?

鴻巣 男女の別で、というより、「辺境の人」が多いですね。
ブロンテデフォーを訳したかったけど、わたしが翻訳を始めた80年代は現在のような「古典の新訳」なんてなかったです。90年代にはカナダ、オランダの作品に興味がわいたり、それから南米に移り・・
「英米文学者事典」に載っていない人ばかりなんですよ。わたし、ハミだしだなー、って思ってたらそういった作家が池澤さんの全集に入ってる。
やっとこれでわたしも「英米文学翻訳家」じゃなくて「英語文学翻訳家」になれたのかな、って。

池澤 今回の文学全集では短編集に日本から金達寿目取真俊を入れてます。在日朝鮮人と沖縄の人、いわば「日本文学」というより「日本語文学」ですね。

柴田 そういう流れは確実にあります。
僕の翻訳はアメリカの白人男性ばかり。
彼らって、なにを書いたらいいかわからないところから、出発した人ばかり。

池澤 (ここで池澤氏が感に堪えないように)すごいなあ、わかった!!
僕は白人主流の文学を避けようと、作家としては物語の舞台を遠いところにしたり、「ケレン」でごまかしてきた。
「やつし植民地人」としての視点だったんだ。
日本の「中流」は居心地が悪い、その居心地の悪さを作品にするのではなく、日本から離れた南の島にする、沖縄に住んでいたことを利用したり、いわば正面突破できないから、ワキへまわる・・ズルいんですよ。

鴻巣 いいえ、わたしは池澤さんは中央突破してらっしゃると思いますよ。

池澤 書くべきものがない、でも小説が書きたい。
そのぬるい生活の中から、どうやって文学を立ち上げるのか。
僕は、芥川賞の選考委員をやっていますが、若い人の作品で、ぬるい日常ーニート生活してコンビニで買い物してウチに帰ってーなんかを書いて失敗しているものについては非常に冷たい。
舞城王太郎じゃないけど、もっと飛び道具を使えよ! ってね。

柴田 日本の文学界って、短編、中編から出発して、それから私小説の伝統があるでしょう。日常を時代に即した誠実さで描いて、というのが前提です。

鴻巣 柴田さんの訳した小説をを読んだんですけど、顕微鏡のようにえんえんと書き続けてます。
日常を過剰にやれば、わたしは飛び道具になると思います。
日常を書き続けていながら、遠いところに来ている、そういうのが柴田さんの訳に多いと思うんです。
わたしはデフォーを訳すにあって、メインストリームの「ロビンソン・クルーソー」じゃない「ミストレス・ロクサーナ」を希望したんですよ。

池澤 「クルーソー」は訳さなくても僕みたいに下敷きにしちゃうし(注・小説「夏の朝の成層圏」)、入れ物だけもらって中身は自分で作ってますが。

鴻巣 この手の「孤島モノ」ってその滞在の間、いかに記録するか、ってところがそれぞれ焦点になるんですよね。
最近だと桐野夏生さんの「東京島」がありましたけど。

池澤 「世界文学全集」を出したけど、世界文学って何かと問われれば、翻訳されることで意味と力が増えるものです。たとえば、司馬遼太郎さんはすぐれた作家だと思うんですけど、「国民文学」だが、「世界文学」ではない。
それと対照的なのが村上春樹のような作品。
聖典ーカノンーではなく、時間と距離を越えて、向こうのもの、遠くのものを近くに寄せようとすると世界文学になる。

柴田 健全な読者にやっとアカデミズムが追いついたんですね。

鴻巣 「アメリカ文学」とか「イギリス文学」とかのくくりはなくなってきてるんではないですか。

柴田 日本の書店は「日本文学」と「海外文学」といった区分けがあるけど、外国の書店なんかに行くとあまり見ないですね。

鴻巣 イギリスの書店で小説の棚に、イギリス人作家と並んで村上春樹が並んでたりね。

池澤 世界文学は、大学の研究室ではなく、子供部屋から始まる、ってことばがあるけど名言だと思います。

鴻巣 オリオン座とかさそり座とかあるけど、ひとりひとり見える星座の形って違うのと同様、世界文学も違うと思うし。

池澤 僕は翻訳をたくさん読んで、翻訳者に感謝しています。
彼らなくして、今の僕はなかった。だから「シェイクスピアは原文じゃあないとね」なんて人を蹴っ飛ばしたい(笑)。
今回の仕事は、翻訳文学で恩恵をこうむってきたご恩返しなんですよね。
3・11の震災のあとポーランドの詩人・シンボルスカの一節が浮かんできました。

またやって来たからといって
春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしな
わかっている わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと


これは沼野充義が訳してくれたからこそ、浮かんでくる、そして詩句が空気のようになっているんです。

鴻巣 翻訳にフォーカスがあたって原語よりクリエイティブとか言われるけど、わたしは空恐ろしいな、と思う。

柴田 そりゃ、恐ろしいですよ・・・

池澤 翻訳は洗礼みたいなもの。
翻訳者は聖ヨハネです。
モードが変わり、より広い人とお付き合いができる。

鴻巣 わたしは、1割は自分がやって、9割は受け取めてくれる読者のおかげだと。新訳の9割は読者が書いてくれていると思っています。

柴田 翻訳をしてると、そのときの周りとどうしてもつながってしまうんです。
19世紀の文学を今訳しても、2011年のにおいがついてしまう。

鴻巣 わたしは、翻訳って、果実にかぶせるマントみたいなものだと思います。
果実がみずみずしいと、翻訳もよくなる。

池澤 翻訳はタッチャブルなものです。
気に入らなかったら訳しなおせばいいんですよ。
シェイクスピアだって、いろんな翻訳ができる。イギリス人の舞台俳優は、
「日本人はシェイクスピア劇でいろんなセリフが言えてうらやましい。わたしたちはオリジナルのセリフだけだから」なんて言うぐらいだしね(笑)。


なごやかな雰囲気で終った第一部。池澤さんは沖縄の「かりゆしウエア」のような白地に植物の柄のシャツ。
鴻巣さんは翻訳だけでなく書評家としても活躍してますが、お話からも才気あふれる女性、それでいながらたいへん謙虚な方とお見受けしました。
柴田さんはなんと「節電」という時局を意識されたのか? 半ズボンにスニーカーのすごくラフないでたち。とても東大の先生にはみえません。でも授業はとっても面白そうですね。


第二部 20:15〜9:20 対談 池澤夏樹×辻原登

池澤 辻原さんの本の中で、作家にとっては現実は19世紀小説であり、それ以前とそれ以降が文学と書かれていますが。

辻原 近代が小説と言うジャンルをつくったが、19世紀にパスティーシュしながら描いていくしかない、と。

池澤 19世紀小説にどっぷりと浸り、これが人生と思ってしまう。
読み終わってざらとシラけた21世紀に戻ってしまう。19世紀の延長上でそこから先へどう生きようとするのか。
辻原さんは19世紀をどうとらえているのですか。

辻原 池澤さんと同じようなものを僕は読んできたと思っています。トルストイ、バルザック、スタンダール・・。
僕は20代から小説を小説を書いていていったんやめて、就職したんです。就職したら、たしかに仕事はつらいけど、すごく生きるのがラクになった。これで生きていける、と思いました。
そしたらとたんに書きたくなったんです。
34,5歳になって自分が面白いとおもったのは19世紀の小説だと気づき、自分の中では20世紀はなかったことにして、不埒な考えですが、プルーストカフカもない・・

池澤 でも辻原さんの「村の名前」はカフカ的じゃないんですか?
このあいだイギリスに行く飛行機の中で「オリバー・ツイスト」を読み始めたら、細かい仕掛けがまっとうに機能していて、ディケンズはやっぱりいいなあ、と。原文もいいですし。
30歳過ぎて小説を書けば、たくらみがいる。自分の中に批評家をかかえていますから。
批評家が強すぎると作家がやせてくる。野放図にされたほうが楽しい。

辻原 19世紀の作家たちは方法論なんかは考えていません。
プルーストはバルザックの文体で実際にあった詐欺師事件を書いているし、パスティーシュは批評であり、翻訳なんです。
池澤さんが小説を書いているのは、19世紀小説への批評を、小説と言う形でやっているのではないか、と。

池澤 ヴォネガットが書いていますね。「カラマーゾフの兄弟を読めば、世界がわかった。でもそれだけじゃもうだめなんだ」って。
小説はいつでも自己批判を含んでいる、でもそれを邪魔してディケンズのように書けない。
トルストイの小説なんかを読むと、まるできちんと構成された映画の場面のようですからね。

辻原 池澤さんは小説において「偶然」というものは1回しか使えない、って書いてますけど、現実のほうが偶然が多いですよ。僕は何度も偶然を使ってますね(笑)。

池澤 神の視点で作っていくのが、まさに19世紀小説。作家は神の視点を持つぐらいのものであっていいのではないかと。
トルストイの「アンナ・カレーニナ」を、「存在の耐えられない軽さ」のふたり、トマーシュテレーザが大好き、と言ってるでしょう。

辻原 あれは切ない小説ですね。
ところで、池澤さんが、マルケスの「百年の孤独」の読み解きをしたあの図・・

池澤 「チャート表」って呼んでます。

辻原 あれを作ったのは「マシアス・ギリの失脚」の前ですか、あとですか?

池澤 前です。マジック・リアリズムの手法を日本でもやってみようと。
「百年の孤独」で一番マジカルなところを持ってきて、リアリズムでやってみる。

辻原 バスが突然消えちゃう話ですね。

池澤 でもやっぱり届かない。それは何かというと、ラテン文学は基本的にカトリックなんですよ。
カトリックって闇も深い。日本は光と闇の落差がぬるいんです。
参考作品をロケットにして、一段高いところに行こうと思ったんですよ。

辻原 僕も下敷きにしたものはあります。それがないと書けない。

池澤 何かを下敷きにしようとすること自体が20世紀的です。
ナイーブな読者が読んでくれたらしてやったりと、ニコニコしていられるんですけど。

辻原 池澤さんとはよく会いますけど、こんな文学の話ってしないですね。食い物の話とか(笑)。

池澤 お互い書評をしていることで、対談しているようなものです。

辻原 僕、まだ池澤さんの書評を書いてないな。

池澤 では、今度、辻原さんに書いてもらうことで決まり(笑)。

辻原 「マシアス・ギリ・・」の舞台はヤップ、ポナペでしょう。

池澤 そうです。
あ、ここで、南の島のお刺身の食べ方を。マグロを食べるとき、おしょうゆにライムを搾って、タバスコを入れるんです。

辻原 中島敦が南洋に移ったスティーヴンソンを下敷きに「光と風と夢」を書いてますけど、こういう小説の書き方もあるのか、と思いました。
カフカとナボコフは1923年ごろだったか、ベルリンでほんの近くに住んでいたらしいけど。

池澤 ふたりはベルリンの街角で会ってたかもしれないですよね。それが小説。

辻原 しょっちゅう偶然はあるけど、それをいかに使うかが問題。
池澤さんの「静かな大地」でも偶然の出会いがありますね。

池澤 イザベラ・バード三郎さん。
あの当時、史実として、旅行家のバードは日本を旅していた。

辻原 小説にしかできない機微です。
それには小説の構成がしっかりとしてなきゃならない。
「戦争と平和」でアンドレイとナポレオンが出会うところとか・・

池澤 このあいだイギリスで会ったウクライナのアンドレイ・クルコフ「ペンギンの憂鬱」を読んでたら、何か似てるなあ、と。それがレスコフなんですね。クルコフがこれをとてもうまく使っている。同じロシアだし。
この手はあまり意識すると、のびのびと野放図にやれない。
僕もその手で今度はエンタメに踏み出すか!(笑)。
19世紀の小説って、たとえば薄幸の美女が顔がいいから、って言って嘆くの。言ってみたいでしょ、こういうセリフ。
読みふけって最後が来るのが惜しい、そんな物語。
自分も書こう、と思ったところから地獄が始まるんですよ。

辻原 僕は「宝島」、いつもそこに帰っていく。

池澤 あれはあまりに完璧ですきまなくできていて、いじりようがない。
アンアタッチャブルでパスティーシュにしようとさえ思わない。
20歳の頃は、小説なぞに手を染めるなど、恐ろしくてできなかった、大作家への畏怖が大きすぎて。
30歳も半ばになり、書く側に回るとしたら今しかない、と。
それで「ロビンソン・クルーソー」を盗んで、今となってはそれがいいかどうかわからないけど。
文学の巨人に恐れおののきがあるからこそ、知らん顔してるんです。

辻原 19世紀小説を選ぶとするとレスコフですか?

池澤 3日間、時間をもらって読みふけるとしたら「戦争と平和」もいいなあ。

辻原 ある本に「くじけないために“デイヴィッド・コパーフィールド”を読む」というのが出てきますね。

池澤 でもやっぱりレスコフの「魅せられた旅人」かなあ。

辻原 僕、いつだったか吉田修一くんから、神田の東京堂書店で「長くていいものないですか」って訊かれて、レスコフいいよ、って薦めたんだよ。

池澤 では、明日から三日間小説を読みふけって・・というワケには、これがいかないんだよなあ(笑)。

辻原さんと池澤さんが親しいのは意外でしたが、おふたりとも1945年生まれの同い年なんですね。
さて第二部終了の後は会場からの質疑応答もあり、高校生や小説を書きたい!という大学生から質問が。
こういうのを見るにつけ、田舎の高校生で作家とじかに接する機会など夢でしかなかった自分としては、本当に本当にうらやましいばかり。
聴衆の年齢層は、学生から高齢の方まで幅広かったように思います。
最後に若い女性から、「世界文学全集」に日本から村上春樹や大江健三郎でなく石牟礼道子氏を選んだわけをたずねられました。その女性は「苦海浄土」を読み、フクシマと重なったと言います。池澤氏は、
「大江、村上、そして中上健次などを入れると、日本文学も入れましたよ、というアリバイづくりになってしまう。それに彼らの作品は文庫でもたくさん読める。「苦海浄土」はすばらしいのに充分光があたっていない作品であり、僭越ながら光をあててみたい、と思いました」という答え。そして、
「この作品は東京から遠く離れた水俣という辺境であり、女性の目であり、ルポルタージュであり、そしてやはり小説です。福島と重なるのは当然です。東京電力は管内に原発をつくっていない。一番消費する東京のそばにはつくらず、福島に原発を持ってきた。このような災害があったあとだけど、やはりもう一度読むに値する作品です」と締めくくられました。

まったくの余談ですが・・わたしの2列前にすごくキレイな女性がすわってて、「女優みたいな人だな・・」と思ったんですが、あれ?池澤さんの娘さんである、声優の池澤春菜さんでは??
こっちがどきどきしてしまいました。お父さんの講演を聴きにざわざわ来たのかな?さすがに、ミーハーに声をかけるのはためらわれました(^^)

水俣病 記念講演会・池澤夏樹氏の講演(2010年4月24日)

世界文学の楽しみ・池澤夏樹講演(学習院大学・2008年7月18日)

池澤夏樹・世界文学全集刊行記念対談(2007年11月21日)