立教大学の尹東柱(ユン・ドンジュ)の足跡をたどる(2007年7月21日)


韓国の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)は1917年、当時の満州間島省で生まれた。中学生の頃から文芸雑誌を級友たちとつくり、詩作を始める。
ソウルの延禧専門学校(現在の延世大学)に入学、雑誌や新聞に詩を発表。1942年に渡日し、立教大学文学部英文科に入学、同年京都の同志社大学英文科へ再入学。1943年、京都下鴨警察署に「独立運動」の嫌疑で逮捕され治安維持法違反で懲役二年の判決、翌年、福岡刑務所に移される。
1945年2月16日、福岡刑務所にて獄死。まだ27歳の若さだった。



尹東柱が福岡でその短い生涯を終えた縁もあり、朝鮮文学研究者たちが中心となって、福岡市で1994年、「福岡・尹東柱の詩を読む会」が発足。
彼の死後に編纂された詩集の中から毎回1〜2編をとりあげ、日本語訳、原語の朝鮮語の詩をテキストに、彼の作品世界を読み解いています。

わたしも1995年4月から参加、10年以上にも及ぶ活動で、尹東柱の詩の世界を愛する仲間たちと語らう貴重な時間が持てました。
会にはいろんな職業の人々、そして韓国の詩人ということで、在日や、韓国人留学生も参加してくれました。
日本人が韓国人詩人の詩を鑑賞している、という活動が珍しかったのか、韓国のマスコミが取材に来たこともありました。

尹東柱は、韓国ではいわば「国民的詩人」。その名前は韓国人なら誰でも知っているそうです。日本人が石川啄木や与謝野晶子を知っているように。
戦前の植民地の朝鮮で青春を過ごし、日本語が強要される中、彼が母語の朝鮮語でひそかに詩を書きつづけたことで、韓国では「抵抗詩人」と冠されることが多いようです。
しかしわたしはそんな時代背景抜きにしても、平易な言葉を使いながらも内省的で、非常に透徹した抒情詩の数々をとても美しいと思います。

戦時下で、自分の祖国が他国に支配されてしまっている、という絶望的な時代の中でも、ひとは美しいものを求めてやまない、美しいものをつくりだせるということに感慨を覚えます。
この会に参加したことで韓国人の知人も出来、まさに尹東柱は、日韓の架け橋になってくれました。



立教大学正門から見た時計台

わたしは今年の春、長いあいだ住みなれた福岡の地を離れました。
福岡を去るにあたって、一番つらかったのは友人たちとの別れ。中でも「福岡・尹東柱の詩を読む会」には12年もかかわってきただけに、詩を鑑賞する定例会に参加できなくなるさびしさがいっそう募りました。

しかし、東京にも同様に尹東柱を偲ぶ会があります。
福岡の会では、毎年2月16日の尹東柱の命日に近い日曜日に、かつて福岡刑務所があった早良区のももちパレスそばの公園で「追悼会」をおこなってきました。この追悼に、東京からわざわざお参りに会員の方々が見えられたことがあります。東京の会員のYさんやAさんとも、そのご縁で知り合いました。
関東にわたしが引っ越したあと、Yさんから連絡をいただき、東京の会合にも誘っていただきました。首都圏には友人が数人いるだけのわたしには、ずいぶんうれしい言葉でした。


図書館。夕暮れになり、窓に明かりがともると、どこか幻想的です

そして先日、Yさんから尹東柱の立教時代の足跡の案内をしていただきました。
Yさんも立教大学OGなのです。
池袋駅から徒歩7分、住宅や高層ビルを背負い、繁華街の中に立教大学は建っています。赤レンガの建物、絡まる蔦、チャペル、並木道などなど、「キャンパス」とはこのような景色を言うのでしょう。わたしの母校(九州の某大学)も戦前の赤レンガの建物は残っていたものの、ほとんど授業には使われず、講義は変哲もない鉄筋コンクリートの校舎でしたから、歴史がにじんだ重厚な建物の中で勉強できる立大生がちょっぴりうらやましいです。


チャペルや図書館など、当時のままの建物が多く、このキャンパスを、尹東柱も歩いたのだと思うと別の意味での感慨があります。
Yさんは立教時代の彼の資料をいろいろ調べてらっしゃって、在学中の「時間割り」のコピーまで持参してくださいました。
谷川徹三(詩人・谷川俊太郎のお父さんですね)や林達夫といった著名人の講義もありますが、尹東柱の受講の記録が残っているのは「英文学史」「東洋哲学史」の二科目です。

図書館や現在の食堂は天井が高く、太い梁が天井にめぐらされ、特にレトロなシャンデリア風の照明が下がる古めかしい図書室は、まるで「ハリー・ポッター」みたいな世界です。
立教在学は短いのですが、朝鮮から来た学生同士の語らいもあったようで、クリスチャンでもある尹東柱には、ミッションスクールの立教大学は心休まる時間も持てたのではないかと想像しています。


尹東柱も歩いたであろうスズカケの並木道

尹東柱は立教時代に五編の詩を書き、ソウルの友人へ郵送。これらが、結果的に今日残って読むことの出来る、彼の最後の作品である。
その中から「たやすく書かれた詩」の抜粋を。恐れ多いことながらながらわたしの拙訳である。

人生は生きることがむずかしいのに
詩がこんなにやすやすと書けるのは
恥ずかしいことだ

六畳ひと間はよその国
窓の外に夜の雨がささやきかけているが
灯りをともして少し闇を追い出し
時代のようにやってくる朝を待つ最後の私



時代のように朝が来たとき、尹東柱はもはやこの世の人ではなかった。
日本の敗戦は、彼の死からわずか半年後。
ついに彼は、みずからの詩集を手にすることがなかった。

同志社大学の尹東柱詩碑を訪ねたときの記録です