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池澤 この映画(「哲学への権利」)は、私的な想いを述べるとなつかしかった、というのがあります。
辻邦生さんが暮らしていたアパルトマンなんかが映画に出てきますから。
フランス人というのはよくしゃべります。
理屈のための理屈も言う。理屈っぽいが一種のジャンプがフランス人っぽいです。
フランス人にとって「哲学」という言葉は他の国とまた違います。理系で言えば、理科系学問の礎となる「数学」の位置。
格の違う「学」として扱っています。
フランスでは、日常の現場でどう応用できるか、日々考え、そして世の中をよりよいほうに持っていく、知性を以って運営されるのが人間社会である、というコンセンサスがあるんですね。
高校では「哲学」の授業があります。大量の作文も書かせるし、自分の育ち方の基礎に「哲学」があります。
西山 池澤さんが2002年、フランスの日仏会館でおこなった講演で
「日本には哲学がない代わりに季節が50ある、その季節ごとに詩を書く国である」
とおっしゃっていましたね。
池澤 50というのはたとえば桜がほころぶ、桜が満開になる、桜が散る、それひとつひとつを季節として数えるわけです。加藤周一さんは「日本では文学が哲学の役割を果たした」と言ってます。
日本は温帯で水が豊富、大陸から離れていて、陸続きのユーラシアのように直接外敵が来ない。
ときに地震や洪水のような災害に遭ってゼロになるが、またイチからはじめる。幸不幸の理由を追究しない。理詰めで考えないわけです。第二次大戦の日本の戦争責任についてあいまいにしたままなのも同様ですが。
西山 フランスと日本の違いですか。
池澤 民族単位でいうと得手不得手はあるでしょうね。
哲学とは、普遍的な思考の力であり、個別に哲学の授業を作るのではなく、哲学的要素が日本の授業にも必要だと思います。
実践的に、現場にぶつけて考えることこそが哲学です。
ここで、池澤さんが2001年の9・11の同時多発テロがきっかけではじめた、メールマガジンの話題に。
池澤 メールマガジンをやっていたとき実感したのは、ダイレクトなレスポンスがすぐ来る、ということ。
「ニューヨークを壊す側」から見たらどうなるか。あの当時は「壊される側」の視点ばかりでしたから。これは「壊す側」の味方をするのではなく、哲学の実践です。
雑誌のコラムでそういうことを書けば、他のさまざまな記事にまぎれてしまう。だが、メールマガジンだと、挑発すればすぐに反応が返ってくる。あれは自分の“哲学”でした。
そして池澤さんは「国際哲学コレージュ」になぞらえて、みずからが20年前にやっていた「僻村塾」を例に挙げられました。
池澤 石川県の山の中でやっていました。いろんな講師を呼んで話を聞くのです。ただ、カルチャーセンターと違い習熟するわけではなく、講師陣が固まってしまった、ということはありましたね。
西山さんと池澤さんはフランスにおける「アソシエーション法」(1901年制定)について言及。
これは2人以上集まって規約を定めて市民団体を作れば、税金免除があったり、活動がしやすくなったりするもので、社会がこういったことを保障している背景を説明。
フランスが闘ってきた「公共性」についてお話が及びます。
西山 フランスでは教育に関する法制定に対し、高校生たちがデモをしたりしてます。いわば「街頭民主主義」の驚きを著作によく書かれていますよね。
池澤 だからフランスはいい国だ、日本はダメな国だ、と言ってるワケではないんですよ。日本はこうでフランスはこうだ、と例示したつもりです。
先日のエジプトのタハリール広場でもそうでしたが、「広場」があるかないか、選挙以外でダイレクトに意思を表示できる場があるかどうか、というのは大きなことです。
皆さん、つい最近まで、まさかエジプトでムバラク政権が倒れるなんて、誰も思っていなかったでしょう?
日本にはこういう「広場」というものがない。東京には「皇居前広場」っていうのがありますけど、あそこ、松がずっと植えられちゃって、邪魔ですもんね(笑)。
パリは大通りに並ぶ建物の高さが決まっています。モダンな建物はダメだし、個人が自分を殺して、全体のためになる街づくりをしています。
パリを綺麗だ、と思うなら「公共」のための街づくりも見てほしいです。
エッフェル塔は壮大な都市計画に基づいて建設されましたが、東京タワーはそういうことを考えずに建てられていて、塔の足元はビルで見えない。「公共」なものへのコントリビューション(寄与)がないのです。
ここで西山さんが「今夜のテーマが<旅と思考>なんですよね・・そろそろそのお話に・・」と水を向けられます。
池澤 哲学を実践することは場所から自由になることです。
移動していろんな人に会い、思想をつき合わせて、思索を深めることになるのではないでしょうか。
西山 最近、池澤さんは「世界文学全集」の編集で話題になりましたね。
池澤 「世界」という言葉を使った以上、普遍性が求められます。それには動き続けなければならない、移動することでローカルなものから離陸するのです。
僕が数年前に書いた「キップをなくして」という小説、あれは定住と移動、子供とおとな、生と死、こういったものの「あいだ」の「トランジット」を考える小説でした。
そして、「境界」から日仏の比較へ。
池澤 日本は境界線が海岸線と重なっているために、「境界」の意識が薄いです。陸続きのユーラシアなどでは線を引いて国と国を分けるのが幸福、だと思われてきたのが変わってきました。
西山 ユーロの経済統合がそうですね。
池澤 僕はフランスに5年住んでいろんなことを学びました。基本的に「国際哲学コレージュ」でやっていることと、自分が同じことをやってきたな、と思います。
日本でも理屈をつきつめて考え、訓練する場があったほうがいいと思います。
哲学が「考える鍛錬」とすれば、いまの日本の教育は「考えてほしくない」のではないかと、思わざるをえない。
だから子供の自殺が多いのでは、考えてしまいます。
あいまいさがあるのはラクではありますが、フランスでは明晰さと厳しさがあるように思えます。
ここで、会場からの質問を受付け(わたしも手を挙げようかな〜と思ったものの、勇気がなくて挙手できませんでした)。
★哲学と宗教についてお聞かせください
池澤 キリスト教、ユダヤ教などの一神教は人をきっちり縛ります。その息苦しさに対して、神なき形で世界が説明できないのか、というところから哲学がうまれてきたと思います。
★池澤さん、西山さんにとって「旅」とは
池澤 とくかくさまざまな土地が見たい、という抑えがたい好奇心があります。
移動がクセになり、ひとしきり「わかった」というまではその土地で暮らしてみます。考えると五年に一度は引っ越している、特殊な生き方です(笑)
西山 僕は四国・愛媛の松山出身で、大学は神戸に行って、それから東京に出てきて、どんどん大都会にのぼっていったわけです。さて、次はいよいよパリ、さらに大都市かと思ったら、パリって街の感じがふるさとの松山に似てるんですよ。なんだか街があたたかい。そして僕は戻ってくる場所は大学なんだな、と思っています。
1時間40分ほどの時間でしたが、充実した、中身の濃い対談を聴けて本当によかったです。
西山さんは哲学者という、お堅いイメージとは違う、きさくな若い研究者、そして会場から「哲学と宗教について」という質問があがり「パッと答えにくい質問だなあ」とわたしは思ったものの、上記のような見事なこ答えを池澤さんが即答、どんなテーマでも、どんな質問でもやわらかにスマートに打ち返す、個人的に「文壇のイチロー」とお呼びしたいです(^^)
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