2010年1月 MOVIES
「人生に必要なもの、それは信頼だよ」
伊坂幸太郎の小説の映画化。原作は07年12月の発売と同時に読み、映画化されると聞いて再読している。
伊坂氏がハリウッド映画のようなイメージで書いた、というだけあって、映画的な追って追われて、というスリリングなエンターテインメント。
撮影はけっこうむずかしいかも・・と思っていたが、2時間15分ほどの上映時間に、長編のエピソードをほぼつめこんで、実によくまとめている。
原作を読んだ方、読んでいない方、どちらにもおススメです。
青柳(堺雅人)は仙台に住む宅配便のドライバー。
2年前、偶然に配達先のマンションで強盗に襲われていたアイドルタレント・凛香(貫地谷しほり)を助けたことで、一躍、有名人になっていた。
青柳は大学時代の友人・森田(吉岡秀隆)から久しぶりに会おうと連絡をもらい、仙台の繁華街で待ち合わせ。
大学のサークル仲間の思い出をなごやかに語り合っていた。
仙台では地元出身の首相・金田(伊藤ふみお)の凱旋パレードがちょうどおこなわれるところで、定禅寺通りは見物の市民でごったがえしている。
ところが突然、森田はクルマの中で、思いつめた顔になり青柳に告白する。
実は自分はお前をここにつれてくるようにある組織から頼まれた。
金田首相はこれから暗殺される。そして青柳が濡れ衣を着せられ「首相暗殺犯」とでっちあげられるのだ、と。
「お前はケネディ事件のオズワルドにされるぞ!」
あまりのとっぴな話に、青柳は冗談としか思えない。
だがパレード中の通りで爆発音が。
ラジコンヘリに積まれた爆弾で、金田首相が本当に爆殺されたのだ。
「逃げろ! どんなにぶざまな姿をさらしてもいいから逃げて生きろ!」
森田は絶叫。半信半疑ながらクルマを降りた青柳だが、その直後クルマは森田もろとも爆発、炎上してしまった。
おびえ、あわてる青柳に、警官たちがすでに知らされていたかのように追ってくる。
それから、長い青柳の逃走劇が始まった。
大学のサークル仲間だったカズ(劇団ひとり)は警察から、青柳から電話があったら通報するようにすでに言われていたのだが、彼は青柳の人となりを知ってるだけに、信じられない。
しかし、携帯電話の通話で青柳の居場所が知られてしまう。
非情にショットガンをぶっ放す小鳩沢(永島敏行)や、警察庁の佐々木(香川照之)に連行され自首するよう言われる青柳。しかし無実の青柳には納得できない。
晴子(竹内結子)は大学時代、青柳と恋人同士だった。
卒業後も付き合っていたが「このままだと、なんか小さくまとまってしまう感じ」と告げ、青柳はふられてしまったのだ。
晴子は現在は別の男性(大森南朋)と結婚し、娘もいる主婦。
テレビニュースで青柳が犯人として追われていることを知り驚愕する。
だが、彼女にも、とても青柳がそんなことをしでかすとは思えないのだ。
絶体絶命の青柳を気まぐれのように救ったのは、仙台市で頻発していた通り魔事件の不気味な犯人(濱田岳)だった。
それでも、まだまだ追い詰められていることに変わりない。
しかし、晴子やカズ、そして会社の同僚の岩崎(渋川清彦)ら、彼の無実を信じる人々、そして事件の野次馬見物から偶然青柳の逃走にかかわることになった保土ヶ谷(柄本明)の機転と手引きで、青柳はたくみに警察からの追っ手をかいくぐる。果たして彼の行く手には何が待ち受けているのか・・
原作の舞台が仙台で、ロケもすべて仙台でおこなわれたらしい。
仙台へはわたしも一昨年旅行に行ったので、見慣れた風景もでてきてうれしかった。
そもそも仙台市内観光した時だって「ゴールデンスランバーに出てくるスポットを見たい!」と探して歩いたぐらいなんですよ。仙台市民にとってはまさに「ご当地映画」なんだろうなあ。
原作の持ち味そのままに、ハラハラする逃走劇になってるし、キャストも原作のイメージを生かしていると思う。
伊坂作品は物語の面白さだけでなく「青春」という季節が、どれも濃厚ににじんでおり、どこかノスタルジーに似たセンチメンタルな読後感を残すのだが、「ゴールデンスランバー」も、大きな陰謀のブキミさとそれから逃げる男のアクション的な興奮もいいが、「大学時代の友情」がキーになるところが心憎い。
そう、「信頼」なんですよ、人生に必要なのは。
ほかに花火職人(ベンガル)、青柳の父親(伊東四郎)など、脇役までいい役者をそろえて見ごたえあります。
そして「ゴールデンスランバー」が入っているビートルズの「アビーロード」がまた聴きたくなりました。
(1月30日、ワーナーマイカルシネマズ市川妙典)
22世紀の地球は、はるか遠く離れた惑星・パンドラの地下鉱物をもとめてプロジェクトを組んでいた。
人類と似た、青い皮膚をして尻尾を持ち、高度な知能と運動神経を持つ「ナヴィ」がそこに住んでいたのだが、あいにく地下資源はナヴィたちの居住地の真下。
この鉱物は莫大な利益をもたらすため、なんとかナヴィたちをどかして手に入れたい・・ともくろむ地球人。
ナヴィと人間のDNAを組み合わせて「アバター」とよばれるハイブリッド種をつくりあげ、これを元のDNAをもつ人間の分身として、パンドラの地に送り込んでいた。
ジェイク(サム・ワーシントン)は、元海兵隊員。戦闘の傷が元で下半身不随となり、車椅子の生活をしている。
ところがアバター役のはずの双子の兄が急死。
同じDNAを持つジェイクが急遽、アバターに指名され、はるかパンドラへおもむく。
特殊なカプセルの中に入って意識をアバターとリンクさせると、足の不自由なジェイクも大地を駆け回ることができるのだ。
そして彼はナヴィたちのあいだに潜入し、穏便に退去してもらう道をさぐるように命じられる。
ナヴィの族長の娘・ネイティリと出会ったジェイクは彼女にナヴィの言葉を教わり、ダイナミックで息を呑むようなナヴィの大自然に感動する。極彩色の生き物たち、そして美しく果てしない渓谷。
いつしかジェイクはネイティリにひかれ、ふたりは恋に落ちる。
ナヴィたちに共感していくのは、本来の彼の軍務に反することだった。つまり彼は「裏切り者」になっていくのだ。
しかし、好戦的なマイルズ大佐(スティーヴン・ラング)は、ナヴィの絶滅もいとわない。
ナヴィたちが聖地としている土地にミサイル発射まで命ずる。
ジェイクや、パンドラの自然保護を考えるグレイス博士(シガニー・ウィーバー)はそれをとめようと奔走するが、軍は彼らにも攻撃を向けることに。
ナヴィたちはこのまま、ほろぼされてしまうのか・・
話題のジェームズ・キャメロン監督の3D映画。
あ、3Dバージョンだと、通常料金よりも高いんですよ〜(わたし知らなくて、映画館の窓口ではじめて知りましたよ)。
3D用のメガネがチケット売り場で渡されます。
さいしょは「わあー、飛び出して見える!」とわくわくしたけど、映画見ているうちに、3D映像にも慣れてしまって、だんだん新鮮味はなくなります(笑)。
マイノリティーを抑圧するために差し向けられた使者が、その実、マイノリティーの生き方に同感して、逆にじぶんのいた共同体と敵対することになって・・というのがこの映画のわくぐみになってるけど、あれっ? これってなんか似た話がいっぱいありますよね。映画でも「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(ケビン・コスナー主演。なつかしい・・)とか。
ナヴィをアメリカ先住民のアナロジーとして観た人は多いでしょう。
不思議な惑星「パンドラ」を映像化したCGはお金かかってるよねー、という凝ったビジュアルだ。
たしかにナヴィの大自然の描写はすばらしいし、疾走するナヴィや野生動物たちの躍動感が実に見ごたえがある。
ただ、ジェイクがナヴィたちに味方して協力していく過程が、やっぱり「族長の娘と恋に落ちて」という紋きり型の物語に終始しているのが、どこか物足りない感じで、「お金をかけたおとぎばなしのCG」に思えてしまうのだが。
シガニー・ウィーバーが登場して、思わず、奇怪な生物が彼女の中から今にも出てきそうな既視感を覚えましたよ。「エイリアン2」もジェームズ・キャメロン監督でした。
(1月24日、ワーナーマイカルシネマズ市川妙典)
地味なドキュメンタリーながら、韓国では300万人もの観客動員があったそうだ。
わたしは昨年12月に、NHKのニュースでこの映画を取り上げているのを見て知った。
ぜひ見たいと思いつつ、会社の仕事が激務でなかなか行く機会が持てず、やっと見に行けました。
慶尚北道(キョンサムプクト)の小さな農村。
映画の主人公は老夫婦と、40歳になろうというメスの牛。
70代後半のおじいさんとおばあさんは、むかしながらのやりかたで農作業を続けている。
牛に田畑を耕させ、農薬を使わず、田植えも手で植える。
おばあさんはいい加減、耕運機を使いたいし、雑草が生い茂るので農薬だって撒きたいのだ。現に、周りの農家はとっくにそうしている。21世紀にもなってこんなことをしてるのは自分のウチだけだ。
しかしおじいさんは絶対にじぶんのやり方を曲げない。
40年も苦労をともにしてきた牛はかわいいし、この先も働いてもらいたい。
牛のエサにするから農薬のついた草はやりたくない。
市販の飼料でなく、ワラをきざみ、刈ってきた草を牛にやるおじいさん。
おばあさんは、「こんなところに嫁にきたばっかりに死ぬまで苦労するよ」とおじいさんに不平たらたら。
この映画、老夫婦の会話がなんともいえず、笑いを誘う。
頑固一徹のおじいさん。そんなおじいさんにあきれはて、しょっちゅう毒づくおばあさん。
それでいて、長い年月をともにした絆がなんともいえない。
そして、もうひとりの主人公とも言える老牛。
40年も生きる牛がいるなんてびっくりだ。
もうかなり弱っていて荷車を引く速度もひどくのろい。
それでも黙々と働く牛。動きにつれてチリンチリンと首につけた鈴音が鳴る。
現代化の中で、韓国ではこういった光景は見られなくなっている。
映画のヒットも、そういった郷愁、素朴だがたしかな生活、農作業のあたたかみといったことに都会の観客が感激したためかもしれない。
日本での上映でも同様の感想を持つ人々が多いだろう。
秋夕(チュソク・・日本で言えばお盆)に老夫婦の子供たちが帰ってくる。
彼らは口々に、牛の世話だけでも大変なのだから、牛を売りなさいよ、とおじいさんに進言するのだ。
おじいさんは老牛を連れて牛の市場へ行くものの「500万ウォン」という値を口にするので、仲買人からは「そんな老いぼれ牛、だれがそんな値段で買うもんか」と相手にされない。むきになって決して値段を下げないおじいさん。彼は実は牛を売りたくないのだ。だからそんな高い値段を口にしているのだ、と思ってしまう。
イ・チュンニョル監督は3年あまりこの村に通いつめてこの映画を撮影したのだという。
四季折々の風景が心休まる。
田おこし、田植え、田んぼの草取り、稲刈り、そのほかにとうがらしなどの野菜の収穫。
農家の仕事は重労働だ。しかしおじいさんは80歳近くで、子供のころからの障害があって足が悪いのに、決して農農作業をやめようとしないのだ。
わたしは都会の人々が「こんな素朴な生活もあるのよねえ」という感情とは別の意味でこの映画を、感慨深く見た。
わたしの実家も兼業農家だった。
しかも、こういう話をすると驚かれるのだが、昭和44年ごろまで農耕牛を使っていたのだ。
「牛の鈴音」に登場するのは赤牛なのだが、我が家にいたのは真っ黒な牛。
幼かった私には、大きな牛はちょっとおっかなかったなあ。
農家の大変さは身にしみてわかってるつもりだし、長年、土を耕して生きてきた人間は、そうそう簡単に、土地を放棄したくない気持ちもわかるような気がする。だからおじいさんが頑強に農業を続ける真情もなんだか共感できる。
そうそう、映画には映像は出てこなかったけど、牛を飼ってると、糞の始末がけっこうたいへんなんですよね(^^;
おじいさんと老牛とのあいだにはその年月以上の愛情がきざみこまれている。
とうとう牛が衰弱し、ある冬の日息を引き取ってしまう。
おじいさんにとっては子供以上の存在だ。悲しみにくれ、牛は小さなフォークリストをやとって穴を掘り、そのまま手厚く埋葬し、牛の首にいつもあった鈴は軒先につるされる。
たしかなもの、しっかりとした確実なもの、それらがこの映画の中にはある。
わたしも、耕運機を購入し、我が家の黒牛が売られていった日のことを思い出した。
トラックの荷台に乗せられた牛の目が悲しげだったのを、今でも覚えている。
おじいさん、おばあさん、ホントにこれからはのんびりと隠居してくださいよ。
そういたわってあげたいような気持ちがいつまでも残る。
(1月20日、銀座シネパトス)
