| 第11回 水俣病 記念講演会(2010年4月24日(土)・有楽町朝日ホール) 主催:水俣フォーラム・朝日新聞社 |
| 「開催にあたって」のことば(パンフレットより) 水俣フォーラムは、水俣病事件の今日的な意味を発見し、その教訓を語り継いでいくために、水俣病発見の日にちなんだ記念講演会を毎年開催してきました。その第11回となる今回は、朝日新聞社との共催で「逆照射される私たち」をテーマに、水俣病を通して私たちの社会と自身のありようを考えたいと思います。 |
| 先日会社のそばで、「水俣病 講演会」のポスターを目にした。講師に池澤夏樹氏の名前を見つけ、ぜひ拝聴したいと思った。彼はあの石牟礼道子氏の「苦海浄土」を高く評価しており、石牟礼氏とも対談している。そういった経緯もあって、今回、講師に呼ばれたのだと思う。 なお講演会では、落合恵子氏の司会で、そのほかに水俣病患者の緒方正実氏、経済評論家の内橋克人氏、元・水俣市長の吉井澄人氏が講演されました。 以下は、池澤氏の講演から。場内は、撮影・録音禁止なので、聞きながら取ったメモから書き起こしています。 |
| 水俣病は「公害」と呼ばれます。公害、ということばは、には「公ーおおやけ」の字を使ってますが、それによって責任の所在があいまいになってしまっています。 英語だと「pollution」、汚染であり、元にはもどすことができない、という意味合いです。 起こったことを記録するということですが、歴史は起こったことではなく、記録された文書です。 だから起こったことを文章化するのは文学者の仕事です。 水俣病を描いた石牟礼道子さんの「苦海浄土」、こういう文学があの苦しみから生まれるとは、なんということだろう、と思います。僕はこの本が好きで好きで・・。 「世界文学全集」の編集の仕事をしていますが、日本から世界文学全集に入れるならばこの本しかない、と考えました。 病気と、社会と、世界を視野に入れて全体を描くのはまさに文学にしかできない仕事です。 しかしながら、こういうトータルな世界を描けたのは稀有な例です。 石牟礼さんは、水俣在住という地の利を得ていたのか、『責務』として負わされていた、あるいは引き受けたのではないか、いずれにしてもすばらしいことだと思います。 まず、患者さんに近づいてよく知ろうとした。彼らは石牟礼さんの身近にいました。 記録を残さないといけない、と思うのは患者側ですが、行政、チッソ側は隠蔽したがる。全容を知らせたくない。残すには患者の側に立つしかないのです。 「苦海浄土」は、フィクションの手法をたくみに使ったルポルタージュといえます。 そしてこの本は三種類の言葉で書かれています。ますは医者の言葉。患者の症状を描写していますが、いわば科学の言葉。間違いがなく客観的だが、冷たい。調べられるのは患者には苦痛でしかありません。 それから患者のありようを伝える言葉。 対照的に、水俣病が発生するまで、いかに幸せなくらしだったかを、熊本弁で書いています。そういう人々の幸せで平凡な暮らしを描いてこそ、水俣病がどういうところに患者たちを突き落としたかがわかる。文学はいちばん幸せなことから不幸なことまで書きこめます。 (ここで池澤氏は、「苦海浄土」からの抜粋を朗読。「きのう電話で石牟礼さんに了解をとりましたから、著作権はクリアしていますよ」と言いながら「九州の方言はうまく朗読できないんですが・・僕は北海道と沖縄ならだいじょうぶなんですけど」と断りをいれた。たしかに方言の部分はつっかえながら朗読されていた。九州人のわたしは思わず「そこだったらわたしが読みますよ!」と言いそうになった(^^;)) それからもうひとつが「官」の言葉。 患者に「確約書」を書かせ、これ以上は文句を言いませんと、サインをさせる。欺瞞の塊です。 とりあえず丸めこもう、最小限のお金で黙らせようとする意図が見え見えです。 「苦海浄土」の中で石牟礼さんは、あるところでは共感を持って患者たちの脇に立ち、観察者であり創作者です。 でもある段階から闘うひとになっていきます。東京の抗議集会で彼女が書いたアジビラもあります。 その場にいなかった、生まれていなかったわれわれに、社会がどこまで弱者に残酷になれるか、多数のために少数が犠牲になるのかを教えてくれているのです。 水俣病の歴史は、人類の財産です。 それを誰かが記録しなければならない。そして告発でなく、嘆きでなく、人間の生き方を含んだものとして石牟礼さんは描いている。だからこそすばらしい。 文学と比べて、政治はなんと無力なことか。 水俣病に対して何もしなかった。しかも同じ国の同胞がひきおこしたということがいっそうやりきれない思いがします。 |