池澤夏樹 朗読会+トーク+サイン会
(2007年5月9日・新宿・紀伊国屋書店南店 紀伊国屋サザンシアター)

同じ池澤夏樹ファンの京都のTさんから、新宿でのイベントの情報をいただき、すぐに新宿の紀伊国屋書店まで入場チケットを買いに走りました。
池澤さんの講演会は過去に2度、聞いたことはありますが、「朗読会」は初めて。つい先日新刊の短編集「きみのためのバラ」が刊行され、それを記念してのイベントです。
場所は新宿駅南口。上京したばかりのわたしは新宿駅まで行ってしまうと、駅構内が広すぎて迷子になりそうで、ひとつ手前、丸ノ内線の新宿三丁目駅で下車して明治通りをてくてく歩いて行ったのでした。
開場の15分前に着いたのに、すでに30人ほどの行列が出来ていました。午後7時から始まり、会場に入ってこられた池澤さんはグレーのジャケットにうすいチェックの柄のシャツ、ノーネクタイで茶色のチノパン、トレッキングシューズみたいな靴をはいてらっしゃいました。
まずさいしょに最新刊の「きみのためのバラ」から「ヘルシンキ」を朗読。

「ヘルシンキ」は、北欧の町で「私」が出会った親子の物語。日本人の父親、そしてロシア人の妻との間にできた娘、妻と離婚したその男は、半年に一度娘と欧州で会うのだが、だんだん娘が日本語を忘れていってしまう。それとともに親子の絆が失われていくような喪失感が、北欧の太陽光の乏しい寂しげな風景の描写の中でしんみり描かれる。
池澤さんの肉声は、男性にしてはちょっと高いほうの声でやさしく響く。この短編はすでに読んでいたものの、文字を追って読むのと、声で聞くのとではまた違う。聞きながら、父親のさびしさ、悲しさが胸に迫ってきて、わたしは最後のほうはじわっと涙まで出てしまった。

朗読は40分ほどかかり、そのあとひさしぶりに短編集をだしたことについての話を。
短編集を出すのは12年ぶりです。以前に「楽しい終末」という本を出したとき、テーマがエイズや原発などにわたり、文字通り終末論の希望のない話ばかりでした。しかし、誠実であろうとすればするほど、悲観的にならざるを得ません。
ですが小説とは「希望」を書くものです。長い物語の中に希望をこめ、「花を運ぶ妹」「すばらしい新世界」「静かな大地」「光の指で触れよ」といった作品を書くうち、短編を書いていないことに気づきました。
短編は長編とは違い、思想信条を書くというより、指物師が良い木を見つけて切って組み立て、やすりをかける作業のようなものです。三年ほど前から短編を再び書き始め、今回1冊にまとめましたが出来上がってみると各短編の舞台が、東京、沖縄、バリ、ミュンヘン、ヘルシンキ、カナダ、メキシコと期せずして世界中が舞台となりました。
そして次に「さっきの『ヘルシンキ』がちょっと暗い話だったから、今度は明るい話を」と言ったうえで「贈り物」を朗読。
「骨は珊瑚、眼は真珠」に入っている短編だ。
池澤さんが朗読するうち、ずっと以前に読んだっきりの物語が蘇ってくる。アメリカから日本へ建築史の研究に来た留学生の女の子の話。
慣れない異国でホームシックにかかって落ち込んでいたクリスマスの日、彼女は銀座通りで、バスいっぱいに乗り込んでいるサンタクロースたちを見かける。たぶん、なにかのイベントに駆り出されてサンタの衣装を来た男性が大勢そのバスに乗っていたのだろうが、その光景はしぼんでいた彼女の心をぽっと明るく元気付ける。そして「もうだいじょうぶ」と彼女は落ち着きを取り戻し、留学生活がスムーズにまわりはじめる。
アメリカやイギリスには「クリスマス・ストーリー」というジャンルがあります。クリスマスをテーマに作家が書いて、その競作が雑誌に載る。自分もこれを書いてみたかったんです。ウィリアム・バロウズには「ジャンキーのクリスマス」という彼らしい、麻薬中毒患者が登場するストーリーがあるんです。
そして朗読の最後に「詩をよみます」と「この世界のぜんぶ」を。
こういう言葉をさらっとつむぎだせるひとってやっぱりとってもステキ。

最後に会場からの質問をお受けしますという司会者の声。あ、わたしも何か考えてくればよかったな、と思ったがとっさには浮かばず、すぐに手をあげたひとからの質問にお答えになった。
「きみのためのバラ」の中の「連夜」に琉歌があるんですが、これ、どんなふうに読めばいいんですか?
池澤さんは声に出して80頁の「はなたいぬ さとぅめ、はなむたち・・」の歌を詠み(質問した人は琉球の言葉なので、イントネーションとか言葉の区切りがわからなくて質問したのだと思う)、
琉歌をモチーフに短編を考えて「琉歌全集」にあたっていたんですが、ちょうど小説にぴったりの歌がみつかり、それで物語ができました。この話を朗読してもよかったんですが、ちょっとエロティックな場面もあって朗読にはちょっとね(笑)、「連夜」はみなさん、うちでじっくり読んでください。

以前、福永武彦についてはもう論ずることはない、と書かれていたのを読んだんですが、それはどういう意味なのでしょう? また池澤さんはご自分のことは書かない方でしたが、最近自身のことをよく書かれているようなのですがそれはどうして?
まず、「父」の福永武彦ですが、彼とはほとんどいっしょに暮らしたことがないんです。高校生の後半から30歳ぐらいは行き来はあったんですが、親子としては非常に抽象的なんですね。「論ずることはない」とそのとき言っていたのは彼のことを読み返して論ずる余裕がない、といった意味だったのです。
またたしかに僕は見たこと、考えたことは書くが、自分自身については書かない、という主義でした。しかし最近になって帯広時代の6歳までのことは書いておこう、と思ったのです。あれは僕にとって完璧な6年間で、いわばいいコトばかりだった。まさに子どもにとってこうあるべきとでもいうような思い出で、大切な宝石箱みたいなもの。
それでこれは書いて残しておくべきだと思ったし、その頃のことを知る人も亡くなっていってます。それで北海道新聞のそれも十勝版というローカルなところにこっそり連載しました。新聞社は全道版に載せてくれって言ったんですけど。

最後にこう言って講演を締めくくられた。

今は「希望」がみつけがたい時代です。楽観的な話をしようとするには合理的なことをしないといけない。
総論ではダメかもしれませんが、各論ではまだ希望のタネはある、あるいはタネをさがしている。人は生きていれば変わる。
それにね、さっきの「贈り物」じゃないけど、きっと困ったらサンタが助けてくれる、そう思ってます。

そのあとサイン会。来場者の目をじっと見て、にっこりと笑う池澤さんは、なんだか優しいだけでなく、威厳のようなものまで感じられました。
新刊にちなみ、池澤さんに黄色いバラをプレゼントした女性も。あ、粋なプレゼント! と思いました。わたしはファンレターと、以前京都であった講演会のときに撮った写真を添えて渡しました。ちゃんと読んで下さったかな〜
このイベントのことを教えてくださったTさん、本当にありがとうございました。


かわいらしい? 池澤さんのサイン

2004年の池澤さんの講演会へ

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