池澤夏樹さん朗読会+梨木香歩さんとの対談(2007年7月5日・丸善丸の内店)
池澤夏樹氏の「静かな大地」の文庫(朝日新聞社)の刊行を記念してのイベント。
2001年6月から2002年8月まで朝日新聞に連載された「静かな大地」は、2003年に単行本化されて、そのときも読了していますが、サイン会もあるので、また文庫本も買ってしまいましたよ(笑)。
それで今回のイベントも、いわば大河小説の「静かな大地」にまつわるエピソード、作品をめぐっての梨木香歩さんとの対談でした。
ちなみに、未読の方のために「静かな大地」のあらすじを説明すると、池澤氏の祖先にあたる原條新次郎、原條迂(すすむ)をモデルに、明治4年淡路島から北海道へ渡り、苦心の末農場を開いた、宗形三郎・志郎兄弟の一族の繁栄と没落の物語。アイヌ民族との交流を織り交ぜながら、その中で近代日本が捨て去った負の歴史を苦く描き出しています。

対談内容は、当日のわたしのメモを元に書き起こしているので、つながりがスムーズでなかったり、一読しただけでは話が多少飛んでいる部分が多々ありますことをご容赦ください。
まずさいしょは、「静かな大地」から、三郎と志郎の兄弟が、アイヌの少年・オシアンクルと出会う場面を朗読。
池澤氏は「最近、講演とか頼まれると自作の朗読を入れるんですよ。その分時間が稼げて話す内容を考えなくていいですからね」と冗談まじりに言って聴衆の笑いを誘う。「これは朗読用に、原文を削ったり若干言い回しを変えたりしてますから、テキストと見比べないで下さいね」と言い置いてから40分弱の朗読。

その後、梨木香歩さんとの対談に移る。
実は梨木さんの本は、わたしは読んだことはないのだが、池澤氏が彼女の本の書評を書いたことが縁で対談相手となったらしい(今度、読んでみよう)。
お名前からして若い作家かと思ったら、わたしと同じぐらいの年代の女性だった。


朗読会に入る前の池澤氏

梨木 先ほどの朗読の場面ですが、北海道の春は、人生が再生するような感じがします。アイヌの少年たちに出会うシーンで三郎さんは彼が持っていた刀に興味を持ちます。それは何事にも敵意を持たず、好きなものは取り入れる三郎さんという人物をよく表していると思います。

池澤 メンツにこだわらない、合理主義者ですね。彼らは北海道に入植し、自然相手なのでいかにすみやかに「武士」から離れられるか、空理空論ではない、暮らしに何が役立つか、これが大事な側面だったのです。

梨木 「静かな大地」の中で三郎さんとクラーク博士との出会いは、宮沢賢治と松田甚次郎との出会いに似てないかしら、と思いました。
それからアイヌ民族の知里幸恵さん(注・「アイヌ神謡集」の著者。金田一京助に見出される)と由良さん(物語では宗形志郎の娘)がちょうど同時代人の設定ですよね。

池澤 小説の出来事と、実際の出来事をわかりやすく、文庫本には単行本にはない年表を付けたんですよ。
三郎のセリフに虫のような精緻なものは、神には創れない、神は信用しない、というのがありますが、いわば手で触れて何か作るということが大事、ものは正直で自分が掛けた手の分だけの形になります。自分も「ものづくり」が好きですし。アイヌの一人前のしるしは木工ができることなんですよ。

梨木 「静かな大地」では話し手が変わり、「なんであんなことがあったんだろうか」という問いが、エコーのように繰り返されています。

池澤 物語の枠をいくつもつくり、語りが入れ子構造になっています。
そしてヒーローは、外から見てヒーローであっても、自分がヒーローだと思ってちゃいけない、だから三郎の語りは手紙の形式にしました。
曽祖父・原條新次郎とその弟の迂については僕が高校生の頃に聞いたのですが、作家になってからこれは書かないわけにはいかないと思いました。
北海道の「静内町史」のさいしょの口絵に原條新次郎の写真が載っている、そして町史の随所に名前が出てくる。それで、ポイントを押さえてその間を付け加えれば小説にできる、と。
語ることは、その場で考えながら「創る」ことであり、語り手の真実であって事実ではない。

梨木 語る人とのあいだのダイナミズムを感じますね。

池澤 歴史とは語られた記憶の束。歴史とは本来、文学です。歴史の「史」は「ふみ」と読むでしょう。

梨木 三郎さんって、ドラスティックに変わるほうに動いてしまいますね。そこがどこか神話的な人物に思えます。

池澤 三郎がエカリアン(注・三郎の妻になる、元は和人の子でアイヌに育てられた女の子)にプロポーズする場面もそうです。
人はふるまいをすべて説明できるわけではありません。大事なときには、合理より深いところで衝動が出ることもあります。

梨木 エカリアンを生粋のアイヌに設定しなかったのはなぜなんですか。

池澤 アイヌでなく、本当は和人の子だった、という設定でもう一段、話が深くなると思いました。和人を育てたアイヌは居たけれど、その逆はなかった。また、ふたつの文化に立つ二重性も描きたかった。それに史実として、原條新次郎の妻は日本人でしたから。
神話的な人物を狂気をはらんだ者として描くことがあります。原條新次郎が猟銃自殺したのは史実なので、そこに至る、狂気をはらんでしまう過程を書きました。
いきなりに話は曲げない、ストーリーをなめらかにするために創作をするんです。

梨木 でも書いていてつらくなかったですか?

池澤 あらかじめ、三郎をいかに死なすか、彼を送る儀式みたいなところがありました。
新聞連載中、勘のいい読者から「三郎さんを死なせないで下さい」という手紙が来たりもしたんですよ。
でも、アイヌの歴史を考えると、ハッピーエンドにするのは偽善だと思います。
北海道開拓史と、アメリカ開拓史が重なるんです。「インディアン」と「アイヌ」がおんなじだから。
北海道における手口は、アメリカとまったく同じで、主(ぬし)のない土地だ、と宣言して土地を取り放題にする。だから三郎の牧場経営もいわば「原罪」がどこかついてまわるんです。


サイン会での様子。ちょっとピンボケです

梨木 小説を書くとき、設計図のように構築するのですか?

池澤 史実の肉付けがあり、石を投げたほうに歩きます。その石を拾うかもしれないし別のものを拾うかもしれない。
石川淳が言うには、小説の執筆に設計図をつくるのは素人だと。これ、福永武彦に言ったらしいんだけど(笑)。

梨木 やっぱり書いてて涙がとまらない、なんてことは?

池澤 読み返して、やっぱり三郎がかわいそうで泣きそうになりました。
だからさっきは初めのほうを朗読しましたけど、泣きそうなところは朗読しない(笑)。

梨木 うさぎの象徴的なエピソードがありますね、うさぎは罠がしかけてあると、つい罠の輪に首をつっこんではまって死んでしまう。
先ほどの三郎さんの衝動的な行動と重なるところです。

池澤 このエピソード、実は「真昼のプリニウス」でも使っているんです。
「静かな大地」の最後のほうに出てくる「熊になった少年」は、三郎を死なせてしまったために書いた章です。

梨木 執筆中は、ちょうどメルマガもなさっていたし、お忙しかったのではないですか。

池澤 それに加えて当時、娘ふたりの保育園の連絡帳も書いてましたから、生原稿3本、毎日です(笑)。

梨木 「静かな大地」もメールマガジン(注・アメリカの同時多発テロをきっかけにはじめたコラムの配信)も、運命が決まってしまったもの、大きくて暗いものに立ち向かうという面がありますね。

池澤 明るい未来に向かいたいし、やるだけのことはやったと思いたかったからですね。
「静かな大地」の単行本刊行のとき、北海道が舞台ということで札幌や静内で講演をやりましたが、どうしても同じ話になってしまいます。
それで今回、梨木さんに対談という形をお願いしました。
朗読、対談あわせて1時間半余り、なかなか興味深い、制作秘話も聞けました。
梨木さんが持参された「静かな大地」の本には、びっしりと付箋が貼られ、ずいぶん読み込んで来られたことをうかがわせました。
会場の聴衆からはおふたりの共通点はカヤックでは? という質問もありましたが、池澤氏は「カヤックは脱落しました。遊びがヘタで、楽しいと思いながら入り口で終わってしまいます」ということでした。

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