| 第一回ガルシア=マルケス会議(2008年10月3日) |
| ガルシア=マルケスといえば、ここで説明するまでもなく、ノーベル賞も受賞した世界的な作家。 わたしは代表作「百年の孤独」を大学の頃途中まで読んで挫折、14,5年前の年末年始に意を決して最初から読み直してようやく読破したものだ。 だって、同じ名前の人間がたくさん登場して物語が複雑に絡み合って、すいっと読めるシロモノではなかった(^^; その他の作品は「族長の秋」、ほかに短編集を何冊か読んでいる。 しかし、たしかに欧米の現代文学とは全然違う、不思議な物語が織りなす、独特の世界が特徴だし魅力でもある。 そんなマルケスを読みこんでいるとは言いがたい、ブンガクを語るにはおこがましいわたしが「ガルシア=マルケス会議」なんぞの会場に紛れ込んだのは、池澤夏樹氏の基調講演があると聞いたから。 講演は金曜日の午後5時半から。普通だったら平日だしあきらめるところだが、場所が千代田区六番町で、現在の職場からそう遠くない。せっかくの機会だ! と申し込み、当日は終業時間とともにダッシュで会社を出て会場に向かう。 しかし方向音痴なわたしのこと、全然違う路地に迷い込み、うろうろしたあげくに、ようやくたどり着きました。 会場は「セルバンテス文化センター」というスペイン語普及にかかわる文化団体の施設。 この会議自体は、日本・コロンビアの外交樹立100周年を記念して企画されたものです。 わたしは5時半ちょっと前に到着しましたが、前の演者がまだお話されていたので、池澤さんの登場は5時50分ぐらいから。ちなみに前の演者とは東大教授でラテンアメリカ文学が専門の野谷文昭氏(「予告された殺人の記録」を翻訳されています)。 以下、池澤夏樹氏の基調講演「一日本作家から見たガルシア=マルケス」(35分ぐらい)の内容を当日のメモをもとにまとめてみました。 |

| 僕の人生に特に影響を与えた二人の作家がいます。 ひとりはロレンス・ダレルともうひとりがガルシア=マルケスです。 ロレンス・ダレルは、20歳ごろ、東京のブリティッシュ・カウンシルの図書館で読んだものですが、若くてお金がなくて、でも本が読みたいという若者にはすばらしい施設でした。 マルケスの「百年の孤独」は、日本語訳が出る3〜4年前に英訳を読みました。たぶん英語圏の一般読者よりも読んだのは早かったと思います。 こういう本を出しますよ、と、出版社が持ち込んだ見本のような本ーアドバンス・エディションというんですがーを丸善でたまたまもらったんです。マーケットに出る前に、いち早く読んでいた、というのはちょっと自慢なんですけど(笑)。 しかし読んでみると余りにも濃密でおもしろさのからくりがわからない。 これは何度も読んだだけではわからないのです。 それで分析・分解してみようと思いました。 たとえばホセ・アルカディオという登場人物がほぼ5代にわたって出てきます。それで、それぞれにあだ名をつける。 レメディオスも何人も登場するので「乙女妻」「小町ヨメ」などとつけてみました。 次にチャプターに分けます。1から20まで分け、表にして誰がどこで出てどこで生まれて、いなくなるのか、というのをつくりました。 さらにエピソードを分析して箇条書きにする。 まず細部の密度が圧倒的です。繁茂するようにエピソードが出てきます。遠近法がなくフラットな感じ。 次から次にたたみかけ誇張が多く具体的な数字が出てくる。語り、という行為に対する全面的な信頼があり、全部に焦点が当たっています。 そしてエピソードの細部はもっと細部なものに似ている、というフラクタルな構造になっています。 5000ページの話を500ページにしたものかもしれないし、5ページの話を500ページにしたのかもしれない、という感じがしてきます。 登場人物は個性的でかつ普遍的です。 人間の個性によって運命が作られるという西洋的価値観とは違います。一族とか、血とか、そういう物語で心理描写が非常に少ない。 彼の作品はしばしば「マジック・リアリズム」と評されます。 なぜ起こったか、という説明がない。起こるべくして起こる。現実そのものがファンタスティック。現実と超現実が重なっているわけです。ラテンアメリカでは、ほかの国では起こらないことが起きるのです。 こうして分析した挙句に自分でもやってみよう、と思いました。 この原理を使って書いたら「百年の孤独」の匂いのするものになるかと。それが僕の書いた「マシアス・ギリの失脚」です。 ミクロネシアの小さな島の大統領・マシアス・ギリは、反体制活動に敏感になっている。そこへやってきたのが日本の先の大戦の慰霊団。その老人たちの乗ったバスが忽然と消えてしまう。探してもみつからないが、なぜかあちこちで目撃され、「目撃レポート」が上がってくる。 ギリ大統領の顧問は幽霊で、まあ、これも非現実的な話です。そして女性の霊力を借りようともする。しかし自分の犯罪の証拠をつかまれて失脚して・・まあ、一生懸命こうして物語をつくって・・なかなかおもしろいんですよ(笑)。 でも書き終えると、むしろアップダイクの「クーデター」に似ていると思いました。 やはりマジックリアリズムにはなりませんでした。マルケスの小説の作り方には手が届かなかったのです。 彼の小説はいわば、タイプライターをたたくたび、植物が育つように物語が生まれてくるのです。 生まれてくる、つくるのではなく。 はめこんで、ねじこんで、とめるようにしてつくるのと、うまれてくるのでは違います。 われわれも含めてラテンアメリカ以外というか「北側」の国は、デカルトの合理主義を超えられない。科学的なものごとの考え方から自由になれない。 しかし、マルケスの物語の中では、物事はそれ自体の力から、起こる。 世界とは現象がわいているのです。 「百年の孤独」では、時間は循環してまわりつつ、一方で前に進んでいます。 繰り返しがあるかと思うと、時間がたっている。物事は変わっているようで変わっていない。 歯車は回っているが摩滅していく。そして物語は終わらざるを得ない。二重三重の時間構造を持っています。 コロンビアの方々もいらっしゃるので、こういうことを話すのはなんですが、ラテンアメリカの文学を考えるうえで、「悪の深さ」というものがあります。 たとえばラス・カサスは、新大陸で先住民たちがスペイン人から受けた大虐殺について書き残しています。 近・現代においても、ラテンアメリカで政治的闘争によっていかにたくさんの人が死んでいったか、マルケスの作品はそういう「悪の深さ」をふまえています。 しかし、自分はそれほど深い罪の場面は描けませんでした。 マルケスから大きなものをもらいながら、それをなぞって失敗したのが僕の作品です。 「百年の孤独」の分析は手間がかかったけれど、おもしろい大変でした。 現代ヨーロッパ文学がジョイスやカフカでゆきづまったとき、「百年の孤独」をひっさげて出てきたのがマルケスでした。 僕はその登場にたちあえた幸福な世代だったと思っています。 |
「世界文学の楽しみ」 池澤夏樹講演会(2008年7月18日・学習院大学)
「作家という仕事」 池澤夏樹さん講演(2008年7月5日・武蔵野大学)
河出書房新社 池澤夏樹・個人編集「世界文学全集」刊行記念対談(VS江國香織、青山南、2007年11月21日・紀伊国屋書店新宿南店サザンシアター)
池澤夏樹さん朗読会+梨木香歩さんとの対談(2007年7月5日・丸善丸の内店)