土方歳三資料館探訪(2007年8月12日)


土方歳三の胸像

先日、土方歳三の最期の地を歩きたくて函館を旅行し、五稜郭も見てきたが、今度は歳三の生まれ育った土地を訪ねてみることにした。

新選組ファンの方々ならご存知だろうが、歳三も近藤勇も多摩の出身。
歳三の生家は、現在の東京都日野市にある。歳三は独身だったが、兄のひとりが家を継ぎ、その子孫が生家を守って現在にいたる。
もっとも昔の面影を残していた生家は建て替えられたが、改装の際自宅の一部を「土方歳三記念館」として、一般公開している。

新宿からJR中央線の快速に乗り35分ほどで立川駅に到着。立川って三鷹や国分寺、国立よりもさらに西に位置し、小さな街かと思ったらさにあらず、駅前はビルが林立して、福岡市の天神よりも栄えている(天神は九州一の繁華街)。
東京の電車のおもだった駅前ってどこも天神よりも都会だよ、と聞かされていたが本当にそうだと実感。

さて、立川駅を出て歩道橋をわたって「多摩都市モノレール」の駅へ。
実は、今回資料館へ行くに当って交通を調べて、こんな鉄道があるのを初めて知った次第です。
建設してからそんなに長い時間がたっていないのか、駅舎なんかもまだきれい。
「立川南」から乗車して多摩川を渡り、三つ目の駅が「万願寺」。なんだか縁起がよさそうないい名前の駅。ここまでは8分ほどで着く。
駅から資料館はすぐなのだが、開館はお昼の12時から。
まだ少し時間があるので、駅そばの「サイゼリヤ」でお昼ご飯を食べてから行ってみることにする。

「誠」の旗が出てるので、場所はすぐにわかった。
ふと道の左側の家を見ると「土方」の表札が出ている。と、右側の大きな家も「土方」の姓だ。土方家の一族だろうか。
資料館があるお宅は、かなり大きい。歳三は「多摩の百姓」とはいっても豪農だったのだろう。
入り口には歳三の胸像が置かれ、12時少し過ぎに到着したのに、もう資料館にはたくさんの人が見学していた。

土方家秘伝の「石田散薬」の薬箱(歳三も若き日、薬の行商をしたという)、天然理心流の木刀(歳三もこの木刀で稽古したと伝えられる)、歳三の俳句集、新選組時代の鎖帷子、八月十八日の政変で使用した鉢金(頭への刀傷を避けるために、鉢巻に縫いつけた鉄製の防護板)、「誠」の文字とダンダラ文様の袖章、皆がよく知って目にしている肖像写真などが陳列ケースに並ぶ。

現在の土方家が函館のお寺から住職を招き、息を引き取った函館の地からふるさとの日野へ、歳三の魂を移す法要の様子の写真も展示してあった。
榎本武揚のご子孫のかたもいっしょである。

記念に絵はがきを買ったとき受付にいた館長さん(土方家の子孫の奥様)に、「このあいだ函館まで行ってきたんですよ」と話し掛け、館長さんとしばらく、函館の歳三ゆかりの場所の話になる。五稜郭での七月の野外劇や幕末の歴史を再現するパレード「五稜郭祭り」がすばらしいですよ、と話してくださる。

そのあと、土方家の墓所がある石田寺(せきでんじ)も資料館の近くというので、行ってみることにする。
のどかな住宅街がひろがるが、ふと見るとここでも「土方」姓の家がいくつも見受けられる。土方家ゆかりのひとびとが、代々、この地にお住まいなのだろう。
小さな水路が一帯をめぐっていて、そのせせらぎで、夏の盛りの暑さを一瞬、忘れさせてくれる。


石田寺にある歳三のお墓

土方歳三の墓碑はすぐに見つけられた。彼の足跡をしるした説明板も立っている。
手を合わせてお参りする。きっと遠い北の地から、想い出多いふるさとへ、彼の魂は還って来ているはずだ。
この日はかなりの暑さだったが、わたしが来たときも次から次へと墓参の人がやってきて、とぎれない。
改めて、死後1世紀半がたつにもかかわらず、その死を悼み、生きていたことを忘れない多くの人が居る、そんな歳三は幸せなのではないかと思った。

最近になって、せっせとDVDを借りてきて2004年の大河ドラマ「新選組!」を全巻やっと見ることが出来た。
画面の新選組隊士は、あくまでも三谷幸喜が創ったキャラクターなのだが、群像劇が得意な三谷氏らしく、隊士たちが生き生きと描かれ、それぞれの持ち味をよく出している。
歳三役の山本耕作史は、資料館の土方家の方々も「歳三さんに顔立ちがよく似ている」と言ってたそうだ。
大河ドラマの放映当時は、墓参や資料館への来館者はさぞかしおおぜいで、ごったがえしていただろうと思われる。

日野まで来ると、多摩丘陵がすぐひかえて、遠くに丹沢の山並みもひろがっている。
どこまでも土地が真っ平らで、遠景に山がまったく見えない市川市に住んでいることもあって、こういう山影を見るとなんだかほっとしてしまう。
「歳三まんじゅう」を買って帰ろうか、と悩んだけど結局買わずに帰ってきました。