| 函館に土方歳三の面影を追って(2007年7月9日〜11日) |
NHKの大河ドラマ「新選組!」(三谷幸喜脚本)の放映が決まったとき、函館市から「五稜郭の戦いまでドラマでやってほしい」と申し入れがあったという。
結局、2004年の放送は近藤勇の死で終わったのだが、視聴者からの強い要望もあり、大河ドラマとしては異例の「続編」を制作、2006年の正月特番として箱館戦争を描いた「新選組! 土方歳三 最後の一日」が放送された。
わたしは大河の「新選組!」はときどきしか見ておらず、新選組自体にもさほど今まで興味がわかなかったのに、その正月時代劇を見てからというもの、土方歳三と、彼が息を引き取った函館という地が気になってしょうがなくなった。
「よし! 函館に行くぞ!」そう思ったものの、調べてみるとなんと福岡空港からは函館への直行便がない。羽田空港から乗り継いで函館空港に行くか、千歳空港まで行って鉄道に乗り換えるか。
「うーん、函館は遠いなあ。でもいつか絶対行きたい、五稜郭も見てみたい」。昨年からそう思いつづけていた。
そうしたら、今年の春、配偶者の東京転勤でまさかの関東暮らし。
北海道はずっと近くなった。通っていた虫歯の治療もだいぶ終わりに近づいてきたこともあり、思い切って函館旅行を決めた。
夏休みシーズンになるとツアー料金がぐっと高くなるので、タイミング的には今だ、と思ったのだ。
ネットの「じゃらん」で検索して、羽田発2泊3日の商品(ホテル宿泊と、往復の航空券のみ)を申し込む。
| <7月9日> 15時10分羽田発のエア・ドゥで一路函館へ。 機内でガイドブックに目を通す。1時間ほどすると眼下に下北半島らしい地形が見える。海は津軽海峡だろう。 函館空港に着陸すると、ふと31年前の事件が思い出された。40代以上の人でないと覚えていないだろうが、「ベレンコ中尉亡命事件」である。 ソ連からミグ戦闘機で函館空港に強行着陸したものだから、大騒ぎとなった。 当時は冷戦真っ只中。ソ連は現在の北朝鮮以上の脅威で軍事大国、やれソ連が北海道に攻めてきてミグを取り返しに来るかもしれないなどと、余計に騒ぎは大きくなったものだ。 函館はわりとこじんまりとした海沿いの地方空港。 こんなとこにソ連の戦闘機がやってきたんじゃ、そりゃ大パニックでしょう。 宿泊ホテルはJR函館駅そばなので、駅行きのバスに乗り込む。 途中、「北の大地に北海道新幹線の早期開業を!」の看板が。 不勉強で申し訳ないが、北海道新幹線の工事が、2005年から既に着工しているなんてまったく知らなかった。2015年には新青森と函館をつないだルートが完成予定なのだと言う。 その後、札幌までルートを伸ばす予定らしい。 ガイドブックで、「土方歳三最期の地」をしるした碑が、宿泊ホテルのすぐそばにあることがわかり、チェックインのあと、まずそこへ向かった。 なんといっても今回の旅行は、とりもなおさず、土方歳三の足跡をたどるのが目的なのだから。 もちろんピンポイント的に正確な場所ではないが、このあたりで彼は銃弾に倒れたらしい。 整備された公園内に建っており、碑のそばでは小学生の男の子たちがかくれんぼをやっていた。 明治2年当時、このあたりは血なまぐさい戦場だったのだろう。 しかし1世紀半近くたってなお、死を悼まれる土方は幸せなのかもしれない。 |
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いつも花が絶えないという土方歳三の碑
| ホテルに到着したのがもう夕方5時近かったので、9日は、函館市の観光名所である「元町」エリアをざっと歩くだけにした。 市電(路面電車)が走っていて、主だった観光名所は市電で充分廻ることができる。 早速市電に駅前から乗り込んで、末広町の電停で降り、映画やCMの撮影場所で有名になった坂道を登ってみる。 元町エリアはやたら坂が多い。それぞれ八幡坂、基坂、日和坂、大三坂、南部坂など、味わいのある名前がついている。 しかし、さいしょ、坂を見上げたとき、 「げっ、傾斜がキツい!」。登っているうちに運動不足のわたしはすぐに息がきれてしまう。 だが坂の上まで登りきると、港が見晴らせてなかなかの景色。 「八幡坂(はちまんざか)」はおじいさんとおばあさんが手をつないでスキップする「チャーミーグリーン」のCM撮影に使われ、「チャーミー坂」とも呼ばれるそうだ.。 夕方6時をまわると、風もひんやり。梅雨でじめじめした内地と違って、さらっとした風だ。 しかし坂を下ると、今度は膝に負担が来る。何度も膝の半月板を痛めたことのあるわたしには、しんどい坂だ。このあたりを観光で歩く際には、間違ってもヒールの高い靴は履けない。 |
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八幡坂の上から港を見下ろす
| ガイドブックに載っていたレトロな喫茶店に行ってみたくて、元町からてくてく歩き回りながら「高田屋通り」まで出る。名前の由来はそう、江戸時代の商人「高田屋嘉兵衛」です。 「茶房 ひし伊」は、明治38年に建てられた土蔵を改装しており、内部は天井が高くて広々。 質蔵としても使われ、あの石川啄木の妻もやってきてたそうだ(苦労してたんだろうなあ)。 せっかくなので、店を出てから啄木の居住地跡まで歩き、「青柳町」まで足を伸ばす。 「函館の青柳町こそかなしけれ・・」という啄木の歌が浮かぶ人も多かろう。 「青柳町」の電停で市電を待っていると7時が過ぎ、もうかなり暗くなってくる。九州だとまだ明るい時間なんだけど。 ホテルに戻って、アジアカップの対カタール戦を観戦。 下戸だと、夜お酒を飲みに出かける、という楽しみがないので、夜はホテルで早めに寝てしまうのがわたしのいつもの旅である。 |
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(左)茶房 ひし伊 (右)「青柳町」電停。坂の下から電車がやってくる