2006年10月 BOOKS

「冷血」トルーマン・カポーティ著、佐々田雅子訳(新潮文庫)
映画「カポーティ」を見る前に読もうかと考えていたが、結局映画を見た後で原作を読むことになった。新潮文庫から出ている佐々田雅子氏による「新訳」である。

1959年にカンザス州で起きた、裕福な農場主一家4人の惨殺事件に材をとった、トルーマン・カポーティの実録小説。
あまりにも有名なのでわたしがここに書くまでもないが、徹底的な関係者への取材による、非常にリアルな事件の再現は単なるルポルタージュの域を越えて、「ニュージャーナリズム」とも言われた。(カポーティ自身は「ノンフィクション・ノヴェル」と言っているようだ)。

先日見た映画ではカポーティの犯人への奇妙なシンパシーが描かれ、それゆえカポーティはますますこの事件の裁判に足を突っ込まざるを得なかったような感さえ受けるが、原作の「冷血」は、そういった著者の思い入れや感傷を徹底的に排した、まじりっけなしのまさに第一級のノンフィクションといえる。
なにしろ三年近くかかってインタビューしたノートは6千ページに及び、それをまとめるのにさらに三年を要したという。
これはしつこいほどの聞き取り作業、確認作業を繰り返さねばならず、事件がおきた街の人々、犯人ふたりの血縁者から、たまたま彼らが立ち寄った店の店員に至るまで、膨大な人数に上る。

その労力が、まるでカポーティが「見てきたような」臨場感のある事件の再現を可能にしている。
あまりも残忍な手口は「動機なき殺人」とも言われたが、事実を積み上げての再構成が、おのずと犯人たちのいまでいうところの「心の闇」の深さを淡々と映し出す。

『悔いているかって? −悔いてはいないな。おれはあのことについては何も感じてないんだ。感じられればいいんだが。でも、あのことではこれっぽっちも悩んでないよ。おれたち、人間じゃないのかもしれない。』(注:殺人について、犯人・ペリー・スミスが告白するシーン、526−527頁より)。

家庭的には恵まれずに親戚の家を転々としたカポーティが、両親の離婚、父親の暴力、母のアル中、きょうだいの殺人、自殺といった環境の犯人・ペリーに自己を投影してしまう言及があるかとおもいきや、そういった感傷的な記述はいっさいない。
余計な憶測など書かずとも、事実の積み重ねが、真実を明確に、より残忍に明らかにしていくという過程には、読んでいて打ちのめされる思いだ。
アメリカのみならず、日本のルポライターたちにもこの著作が影響を及ぼしたといわれるゆえんである。

しかし、さすがに小説家らしい文体や構成をとっているところが、「殺人事件の報告書」と違う点だ。
風景の描写は生き生きと美しいし、事件の舞台となった晩秋のカンザスの農場の物寂しさが浮かび上がる。
本書の最後、デューイ捜査官(映画ではクリス・クーパーが演じていた)が、殺されたクラッター家の墓で、犠牲者の友人と会って言葉を交わすところは、まるで映画のラストシーンのような余韻だ。   

「ロミオとロミオは永遠に」(上)(下) 恩田陸(ハヤカワ文庫)
好きな作家の新刊はマメにチェックしているつもりだったが、先日、自宅近くの小さな書店にふらっと立ち寄ったときに、恩田陸さんの「ロミオとロミオは永遠に」の上・下巻を発見。
彼女の文庫本は読破してしまったはずだったのに、このタイトルは聞いたことがない。よくみれば早川文庫だ。
わたしはSFや海外ミステリーものはほとんど読まないジャンル。
それで早川書房の新刊広告に載っていたのを見逃していたようだ。
夏にすでに出ていたというのに。
何はともあれ、まるで好物のオカズが最後に残っていたような気分。上下巻だから読みでがあるし、嬉しくてたまらない。

舞台は近未来の東京。
環境破壊された地球には日本人だけが残り、彼らは産業廃棄物の処理に追われていた。男子のみが入学できる高校「大東京学園」には競争を勝ち抜いた子どもたちが集まってくるが、中でおこなわれているのは教育とは程遠い、サバイバルの日々。
果たして生きて卒業できるのか。
アキラとシゲルは、ついに脱走を決意し、計画を練る・・

近未来では「サブカルチャー的なもの」は堕落を招くと全否定されている。逆にそれらが大東京学園の生徒たちには不思議で魅力的なものとして、秘匿されていた雑誌が憧憬を持って読まれることに。
スポーツ、マンガ、TVドラマ、ポピュラー音楽。
そう、それはわれわれが日々享受しているもの。
恩田さんとわたしは同世代なので「20世紀の俗悪文化」として描かれるそれらは、まさに子供時代〜青春時代に体験した数々。
恩田さんはサブカルへのオマージュもこめて逆説的に小説のバックグラウンドで取り上げているのだ。そういう使い方って心憎い。

恩田陸さんは実にオールラウンドな作家だ。
いま映画化で話題の「夜のピクニック」のような青春モノもあれば「ユージニア」のようなあとでじわっとこわくなるホラーミステリーも書くし、「チョコレートコスモス」は演劇をテーマにした長編。
SFもお手の物。「ライオンハート」「ねじの回転」などドラマティックでわくわくする力作が多い。

本作もSFということになるが、「20世紀サブカルチャー」のパロディあり、人間性を奪われた近未来で生き抜く少年たちの悲哀とともにたくましさも存分に描かれていて、笑わせるところは笑わせる。
そして各章のタイトルはなつかしの名画のタイトル(「アメリカの夜」「カッコーの巣の上で」「若者のすべて」等々)が付けられていると言う念のいれよう。彼女の映画の造詣の深さは、他の著作からも感じられる。

アキラとシゲルが脱走を企てて行き着いた先は・・
なんだか21世紀初頭の閉塞した日本にも重なるトーンなのです。

ほかにも恩田さんの未読の小説があるかもしれないな。
今度ちゃんと調べてみよう!

「負け犬の遠吠え」 酒井順子(講談社文庫)
ご存知、「負け犬論争」まで巻き起こした、酒井順子氏のいわくつきの問題作。
ただ、あまりにも話題になってアチコチでその内容が紹介されていたため、読んでいないわたしもなんとなく読んでしまった気になっていた。
彼女の書くエッセイは好きなので、通して読んでみたいなー、あ、でもサイクルからするとそろそろ文庫化される時期と考えていたら、なんともいいタイミングで文庫本が刊行。
いったん読み出したらやめられず、夕方から深夜にかけて一気に読了してしまった。

多くの方がご存知だと思うが酒井氏は
どんなにきれいで仕事が出来て性格が良くても、
「30代以上で、未婚、子ナシは『負け犬』」と定義してしまったのだ。
勿論これはそんな女性を揶揄しているのではない。
世間というものは「結婚してなくても、仕事は充実してるし友だちもいっぱいいるの」という女たちをほっとかない。
「そんなのはしょせん負け犬の遠吠えだよ」と冷たい。それなら「そうです、わたしは負け犬ですよ〜」といさぎよく認めちゃいましょ、と提言。
しかしそれでも「わたしは負けてなんかいない!」「結婚してるけどわたしは『勝ち犬』じゃないわ! 主婦もタイヘンなのよ」「勝ち負けで人間を判断するなんておかしい」と大反響を呼び、流行語にさえなってしまった。

昔は結婚していない女性は「オールドミス」だの「嫁き遅れ」だの差別的なコトバで呼ばれていた。
しかし、21世紀の日本では未婚率が上昇を描き、そんな侮蔑を含んだネーミングはもはや死語。そこにあらわれた新たなカテゴリーが「負け犬」。
酒井氏自身も独身で、「史上、こんなに『負け犬』があふれた時代はないだろう」と語る。これはそこいらの「少子化」の論文なんぞよりもずっと社会学的考察に満ちた、「負け犬」から見た現代日本社会の見事な活写である。
中には「それはこじつけでは?」というところもあるがご愛嬌。
酒井氏の観察眼と批評精神が、「結婚してない女たち」の行動様式を映し出し、わたしは「あーっ、わかるわかるわかる」。

わたしはいちおうは既婚者なので「負け犬」の範疇からははずれるのだろうが、結婚したのは30代も後半になってからで遅かったし、子どももいないのでメンタリティーは限りなく「負け犬」に近い。「負け犬」ライフが長いと「勝ち犬」的生活は実感がない。
映画「ブリジット・ジョーンズの日記」に共感し、一人旅が苦にならず、とりあえず今、楽しいことばかりを考えてしまう・・等々。
配偶者は持てど、負け犬どっぷり生活からの足抜けはできてませんよ、酒井さん。
それにかろうじて既婚でも子どもがいないと「子どもを育てないと半人前」「子育てに使うべき時間を何かに向けたら」などとお説教をしてくれる輩はあとをたたない。「女の幸せは結婚して子どもを育てること」との布教を受ける「負け犬」のうんざりさ加減は、わたしもよーくわかっているのだ。

「独身女性が、他にすることが無いから『知的好奇心』という耳ざわりの良い言葉を言い訳にして歌舞伎を見るように、既婚女性は他にすることが無いから『愛』『母性』という言葉を頼りに、子どもを生む。85年という長い人生の暇をつぶすために、人はそれぞれの依存対象を見つけているのであって、『依存に貴賎なし』と私は言いたい」(134ページより)。
かなり強引ではあるけれど、けっきょくは勝ち犬も負け犬もたいへんなのよね、と酒井氏はやさしーく語りかけているのだ。

ある集団をカテゴライズしてその問題が顕在化するように(「ニート」とか「ひきこもり」とか)、「負け犬」という言葉で日本社会の晩婚化と少子化の一断面がくっきり見えてしまう。
しかし酒井氏は本意ではないだろうがこの言葉がひとり歩きしてしまった結果、わたしは大学時代の友人たち(全員独身)から
「ごんふくとちがってわたしたちは負け犬だからさー」と少々突き放されたようなコトを言われちょこっとさびしかったことがある。あんまりこの言葉を乱用すると、友情にヒビがはいるなあ。

「憲法九条を世界遺産に」太田光、中沢新一(集英社新書)
日本国憲法を世界遺産、という発想がおもしろい。
いわば、一期一会のようにして、日本国憲法は生まれたのだ。


「天窓のある家」篠田節子(新潮文庫)
ホラー短編集。「短編は人生の断面ではなく、人生を凝縮して見せるものである」。
いずれも中年男女のいびつな心情がテーマ。主人公が「中高年」という枠の連作集なので、ちょっと物足りない感が。短編ももちろん面白いけど、この人は主人公の葛藤と成長を描く長編が一番よみごたえがある。


「フェルメール全点踏破の旅」朽木ゆり子(集英社新書)
その作品の数の少なさと、魅力的で完成度の高い作品のせいで、世界的にフェルメールには熱狂的ファンが多い。わたしも大好きな画家。現在見ることのできるフェルメールを求め、アメリカへ、ヨーロッパへと美術館を訪ね歩いた、なんともぜいたくな旅。
緻密だけど、おだやか、静謐だけど、饒舌に語りかけるフェルメールの絵。
ちなみに6年前に大阪の展覧会でフェルメールを見ましたが、とんでもない人ごみで2時間待ち、中に入ってもゆっくり立ち止まれないほどの混雑でした。でも本物を見られてよかったです。


「真相」 横山秀夫(双葉文庫)
情けない中年オヤジを書かせたら、横山秀夫氏は日本一、かも?
この短編集、登場するオヤジたちがどれもそろって物悲しい。ミステリーの醍醐味というより、オヤジの悲哀が迫ってきます。