エッセイ
「手なれ」の楽しさ-------------- 岩城正夫

   古希を過ぎてからの私にも楽しみが二つある。 それらは私にとっていわばごく手慣れた作業であ る。一つは大昔の発火法で、木の板に丸棒を回転 させ発火させるものである。それを小学生などに 見せるととても喜んでくれる。もう一つは古代型 の矢じり作りである。作った矢じりを人にプレゼ ントすると、これまた喜んでもらえるので私にと ってもう一つの楽しみである。
 ただ古代型の矢じりとはいっても材料が黒曜石 ではなくてガラス瓶のかけらだから大昔とは大い に違う。黒曜石を入手するてだても無いわけでは ないが、割れ方の同じガラスなら材料費無料とな り年金生活者にはもってこいである。
 私がガラスで矢じり作りを始めたのは今から三 〇年以上もまえになるが、なんとそれは私の専売 ではなかったことを後で知った。初めにそれを覚 ったのは一九七四年エジンバラで学会があったと き当地の博物館で見つけたのだ。展示物をみたと きなんと綺麗なグリーン色なのかと驚いたが、材 料がワイン・ボトルと知ってまた驚いた。作った のはオーストラリア先住民で入植白人の捨てたガ ラス瓶の再利用だった。三年前(一九九九年)ア メリカ先住民製作のガラスの矢じりを見た。それ を作ったのは「最後のアメリカ・インディアン」 といわれたイシ氏である。彼のことは岩波書店発 行『イシ』に詳しい。展示の場所はカリフォルニ ア大学バークリー校の人類学博物館内である。
 オーストラリア先住民にしろアメリカ先住民に しろ私にしろ、材料としての良質の石が何らかの 理由で入手しにくい状況が生じたとき、身近にあ る廃棄物の中から類似材料を見つけて再利用して いる点は共通しているように思う。
 もう一つの私の楽しみ、古代発火作業は最近で はテレビでもしばしば放映され、さほど珍しくな くなった。そこで私は二〇〇一年春「古代発火法 検定協会」を立ち上げ、発火技量によって一〜五 級までの検定試験を実施、合格者に認定証書を交 付することにした。楽しみをいまひとつ面白くす るため構造の複雑化をねらったわけである。
 ところで私がつねづね思っていることだが、昔 から伝わる道具には三つのタイプというか傾向が あるように思う。一つは道具そのものの形をほと んど変化させずにそれを使いこなす技量の向上を 目指すものである。古代発火具もそうだが日本刀 と剣術の関係もその例にあたる。スポーツにはこ のタイプの道具が多くサッカーボールもその例で ある。第二は道具の美しさを目指すものである。 それはやがて美術品にいたる。三つ目は、道具の 構造・機能を次々と改良し、誰にでも使いやすい ようにたえまなく改良を積み重ねてゆくものであ る。それはやがて機械となり更にオートメ化され てゆく。現代日常生活での多くがそれで例えば電 気釜や自動洗濯機などきりがない。
 道具・機械のオートメ化も便利でよいが使いな れると意識はそれを当然とみなすように変化し感 激も無くなる。ところが手作業・身体動作の熟練 による目的達成は、どんなに熟練しても油断すれ ば失敗するから緊張感が最後まで要求され、結果 が出れば何度でも感動できるのである。
 私がいまだに古代発火法で楽しんだり矢じり 作りで楽しめるのも手作業のおかげだと思う。
(『健康』2002年6月掲載)

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