階 段 を 大 股 で 降 り る

             岩 城 正 夫

 私は三〇年ほど前から古代発火法の実験を続けている。その実験材料ウツギの枝を採集 するため時々山に登る。しかしいつも下山に苦労した。登るのはいいが山を降りるのが怖 かった。とくに階段状になった下りが続くとき足が竦んで、しばしば立ち往生したものだ った。山道に作られた階段は、その一段の高さが一定でなく二〇〜三〇センチときに四〇 センチ近いのまでばらつきがあり一段ごとに丸太が一本横向きに敷かれている。崖のよう に延々と下に連なる階段の次の丸太に片足を降ろそうとしたとき、その段差が大きいと、 たとえようもなく怖い。
 それをどうしたら克服できるかが私の長年の課題だった。が、あるとき、ふと思いつい て練習を試みたところ、結果は良好で、それ以後は山降りが怖くなくなった。
 どんな練習をしたかと言えば、駅の階段を一段おきに降りる練習を続けたのである。ふ つう駅の階段は一段の高さが一七センチほどである。デパートの階段も一六〜一七センチ ほどである。何時もポケットに巻き尺をしのばせ、そこらじゅうの階段の高さを測定して 歩いた時期があった。この階段ちょっと急だなと感じたとき測定すると一八センチだった り、また楽な階段だなと感じたとき測定すると一五センチだったりする。たった一〜二セ ンチの差が大きく左右する。ちなみにエスカレーターの一段はほぼ二〇センチである。私 が通う駅の階段は一段おきなら三四センチになる。私はその登り降りを練習したことにな る。その感覚はちょうど山道の丸太階段に近い。
 そのような練習を通勤時に組み込んで辛抱づよく続けたところ、数年後のあるとき、ふ いに納得できたように感じた。これがコツだなと思った。それはふつうの人がごくふつう に階段を登り降りするときの感覚とほぼ同じ感触で、一段おきにステップを踏んで登り降 りすることが可能になった。ついに慣れてしまったのである。
 そのことを或る席で話題にしたら、上がるならともかく若くもない人が一段おきに降り たら怖いし危ないではないかと詰問された。たしかに若者たちがするようにポンポンと跳 ねながら駆け降りたら怖いし危ないと思う。しかし私のやり方はゆっくり降りるのだから 危なくも怖くもない。つまり、右足を降ろすばあい右足が次の段をすどおりして二番目ま で進んだあと、かかとを次の段の高さより低い位置まで下げておいてから右足に重心を移 す。そのやり方なら階段の角にかかとをひっかけて転んだりすることはない。ただし慣れ ないとむずかしい。というのは右足がステップを踏むまでのあいだ左足はひざをかなり曲 げたまま体重を支え続けなければならないからだ。ふつうの生活では使用しない或る股の 筋肉を使うようだ。数人の若者が私の真似をしていっしょにやってみたら翌日股の筋肉が 痛んだと語っていたことでもわかる。また知人の元スポーツ選手は、高年齢の人にとって は足の筋肉の衰弱防止のみならず平衡感覚維持の鍛練にもなりそうな試みですねと感想を のべてくれた。
ゆったりした足取りだからさほど周囲から目立つこともなく、いまでもそ のようにして通勤している。休日には散歩で同じことをして楽しんでいる。(月刊『健康』1997年9月号掲載。)

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