戯れ日記 2005年4月
2005/04/30(土)
「裏話の話」
お礼参りで残っていた司祭様にお礼に伺ってきました。
「まぁみんな死んじゃいましたから」
と祖父の代の裏話を一つ。へー。
2005/04/28(木)
「お葬式の話」
祖母の通夜・葬儀に参列してきました。
祖母の実家がお寺さんなので、お寺の本堂で執り行われるという、これまたスペシャルなお葬式でした。
父の時との違いは、仏式・キリスト教式の違いはもちろんですが、ともかく親戚が多いこと多いこと。通夜も葬儀もにぎやかでよい式でした。
「読経の話」
いちおうこれでも直系の孫ですので、「親戚一同」では二列目に配されていたわけです。
が、通夜も葬儀も一般参列者の焼香中に船をこいでおりました。
幸いお寺の本堂だったので、二列目といえども一般参列者から見ればかなりの死角。それほど悪目立ちはしてなかったんじゃないかなぁ…と自分をフォロー。
どうにもお経は眠くなっていけません。
「会葬業者の話A 配膳係のおばちゃん」
自分が主役の一翼を担っていた前回は、業者さん自体も小さい会社だったこともあってあまり気にならなかったのですが、今回の業者さん、それなりの規模もあって手際もいい反面、いまいちアラが目立ってしようがありませんでした。
たとえば、「お寺さんの都合上、二人以上配膳係を頼まなければならない」といって送り込まれてきた配膳係のおばちゃん。「立っていられると邪魔だから、とっとと奥から順に座りやがれ」と言わんばかりに席に案内。「あまると困るから食え」的に明らかにもう戦意を喪失している席への追加の投入。全員分お茶が出てないのに気づきもしないで食器を下げ始める手際の良さ。ほんとうに嫌々やっているんですなぁ的な愛想の悪さ。ていうか、あれだけ金取るんだから、ファミレス店員程度の気配りはしてほしいものです。
「会葬業者の話B 司会のお兄ちゃん」
それと司会者の方。手際も愛想もさすがプロ、な人でしたが、
「ご会葬のみなさま各位さま、ご本堂前にてお棺のご出棺まで、いましばらくお待ちいただくようお願いいたします」
「それでは喪主様、こちらのお花をお棺のお胸のあたりに置いていただいて…」
いや、そりゃちょっと敬語が過剰じゃありませんか?(鬱
「大叔父は話し好きの話」
祖母の弟、すなわち大叔父はお寺の先代住職なわけです。
で、この人は自慢話が大好きで、ある意味父ととても話が合う人でした。
最近は息子さんからの締め付けもあってか、多生はセーブしているようですが、今回も葬儀が始まる前、早めに来た親戚が広間でお茶を飲んでいると
「あちらのご仏壇、せっかく開帳しているから是非見て行きなさい」
とおじいちゃん登場。直に葬式だから…とみんなスルーしている中、
「あれは**さんという人間国宝の作った仏壇で、**さんという人は親鸞聖人に関わりのある人なんです」
「**さんがなぜ人間国宝になったかという話は、長くなるから今は話さないけど、ご質問があればお答えしましょう」
「その仏壇は、ひと揃いで**万円するもので、うちのお寺の宝です」
さらに何か言おうと口を開きかけたところで奥さんが袖を引いて気をそらされて止まりましたが、「ご質問があったら」って誘い受けですか?(笑
ていうか、値段の話はちょっとどうかと…ねぇ?
「火葬場の話」
あたり日だったんでしょうか? やけに混雑した火葬場はまさに坊さん博覧会。
各派各様のお坊さんが各派各様のお経を上げていました。
場所柄なのか、司祭様や牧師さんはいらっしゃいませんでした。
「説法の話」
火葬も終わって最後の法要。一日で三度目もお焼香したのは初めてかもしれません。
で、その法要の締めの説法が、なんだか祖母を悼むものなんだか大叔父を慰める話なんだかよくわからない感じで、お坊さんの世界も大変なんだなぁ、と思いました。
(説法されていたお坊さんにとって、大叔父は大旦那にあたるわけです)
2005/04/26(火)
「親の因果が子に報いる話」
郵政民営化のニュースを見ていて気がついたこと。
「こんな強引なやり方は許されない」
「納得のいく説明が聞けていない」
「まだ決定は2〜3日延ばせるはずだ」
過去には社会党議員の常套句だったことを、そのまま自民党の議員が言っているので大笑い。つまるところこれが日本の政治ということなのですね。
「聞き耳の話」
朝の電車で学生さん二人が会話していました。
聞くとはなしに聞いていると、あちこちに聞いたことのあるキーワードが出てきます。なんだか知らぬ間に、片割れの通っている学校も出身地も現住所もわかっちゃいました。
探偵さんはこういうところから調査を開始するのだろうか。
「事務の話」
祖母が亡くなったのでまた服喪休暇を使うことになるわけです。
一通りご心配頂いたあと、総務の方がぽつり。
「こりゃ、今月の勤怠月報がすごいことになりますねぇ」
さもありなん。
2005/04/24(日)
「第三者的視線の話」
祖母の件で叔母宅に日参している我が家です。
本日は弟2君の運転練習ということで、彼がハンドルを握ってのお出かけ。うるさい兄がごちゃごちゃ言って大変だったでしょうが、助手席の乗っていた兄も、結構マジで床を踏みしめたりしていました。
ほ、補助ブレーキはどこだ!(汗
叔母一家はぽつぽつくる来客を捌きつつ葬儀屋さんと打ち合わせ中でした。
手伝いつつ耳を傾けると、あぁ、なんだかついこの間聞いたような話が…。一歩引いて聞くといろいろなことが見えてきて、興味深いものがありました。
実は祖母の弟が真宗のお寺さんなので、その辺に迷いはなくて楽な感じ。初日にいらしたときに甥にあたるお坊さんが「真宗では…」といろいろ釘をさしていかれたので、葬儀屋さんも一言づつ説明が多くなっていたようです。
真宗ってのは基本的に葬式は簡素にやるようで、日も選ばない飾りも気にしない等々、葬儀屋さんにしてみれば腕のふるいどころが少ない相手のようです。いいか悪いかは別として。
「おしゃべりの話」
久しぶりにおーはしくん、千太郎くんを誘って晩ご飯を食べつつおしゃべりしてきました。
2005/04/23(土)
「前を向く話」
私は普通、歩くときに2〜3mくらい前方の地面を見ています。
それより前のことは視界の隅で判断するような感じ。
最近、歩くときの視線を水平に固定してみるという試みを、思い出す範囲で実行していますが、けっこう景色が違って見えるものですね。
特に、普段曲がってしまう十字路の向こうの景色とか、初めて目にしたかも知れません。
背筋をのばして前を向いて歩く、もし耐えしてみようという人がいたら、くれぐれも足下にはお気をつけて。
あと、雨の日は危険。
「脳内BGMの話」
先日、ラグナロクからしばらく距離を置くかたの挨拶に感動した。という話を書きましたが、あのとき私の脳内(とときどき鼻歌)で延々流れ続けていたのが「思い出のアルバム(♪いつのことだか思い出してごらん あんなことこんなことあったでしょう)でした。
これは私の中でもbest10に入る「泣きソング」で、心に隙があるときに聞いたり歌ったりしていると涙が出てくるのです。
かように、脳内BGMの選曲によって感情は大きく左右されるものなのだなぁ、と妙に納得でした。
そうか、チャットは脳内BGMを妨げる要素が少ないので、対面や電話とはちがった感情の動きをするのだなぁ。
「落ち着かない話」
とりあえず明日の追悼ミサで父関係の話は一段落です。
というところで、父の死と前後して体調を崩されていた母方の祖母のお見舞いに行くことになりました。
先週工場に出した車を引き取って、先に行っている家人を迎えがてら、おばあさまの顔を見てきますか…とゆっくりしていたら、弟から「ちょうど30分くらい前に亡くなられた」と電話。
あちゃあ。どうにも落ち着きません。
2005/04/21(木)
「桜の話」
ソメイヨシノはあっさり散ってしまいましたが、我が家のウコンザクラとヤエザクラは今週が盛りです。
濃いピンクのウコンや黄色がかった白のヤエは新緑の黄緑によく映えます。
とかく桜といえばソメイヨシノ。ソメイヨシノにあらねば桜に非ず。といったご時世ですが、そうでない桜も見直してあげてください。
「仕事の話」
とりあえず家のことが一段落して通常のお仕事モードに戻っているわけですが、やはり一週間も休んだブランクか、今ひとつ調子がつかめていない感じです。
社長からの要求を満たすデータを出そうと思えば出そうと思うほど、現行のシステムから離れていってしまう部分に少々不安を覚える今日この頃。
それは虎穴か墓穴のどっちかに違いないから、今は口に出しませんが、「もういっそのことシステム作り直しませんか?」
「データの話。もしくはお役所仕事の話」
当然、人が死ぬといろいろな手続きが必要になります。
その中で重要な働きをする書類が、皆さんご存じ「戸籍謄本」です。(死亡・婚姻などでいなくなった人を載せてほしいときは「除籍謄本」というそうですが、どの項目を載せるか以外の違いはありません)
我が家の戸籍はやっかいなことに祖父の故郷にありまして、ちょっと取りに行くというわけにはいきません。そこで、請求書類を郵送し送ってもらうことになります。
昨年まで、送られてくる「謄本」は毛筆書きの古めかしい書類のコピーでした。
今年は、ワープロ打ちの書類に変わっていました。
なんでも今年度からOA化したんだそうです。
…データでこっちの役所まで送って、そっから出力させれば切手代がいらないんじゃ?
行政に「効率化」とか「サービス」とか求めるのはやっぱり間違っているんでしょうか。
「ラグナロクの話」
経験値1.5倍セールが終わりました。
まだBOTは帰ってきていないか、目立たない程度にしかいないようです。
マイグレーションとそれに付随するイベントも終わりました。
BOTがいなくなるのであれば、移住しようという動機(BOTがうぜぇ、同時接続数が多すぎて動作に支障が出ているなど)の大半が失われる気がするので、予想通り移住した人はごく少数にとどまったようです。
次週の大型アップデートを控えて、つかの間の平穏を取り戻したラグナロクですが、私の所属するギルドを含むグループのまとめ役の一人が一時お休みされるそうです。
詳しい話は聞いていませんが、いろいろあったそうで。
しかし、彼の最後の挨拶は、もし文字でなければ感動の涙を流していたやもしれぬと思うほど気持ちのこもった素晴らしいものでした。
文字でも声でも、込めた気持ちは伝わってくるものです。
受け止め方には大きな差が出てくるわけですが。
2005/04/18(月)
「お役所仕事の話。パート2」
とりあえず必要なものを申請するだけ申請して、取れるものは取って、当面のゴタゴタは一段落。
ま、私はほんとうにたいしたことはしていないのですが。
それとは関係のない話ですが、今日も住基番号を変更したら係のおじさんに理由を聞かれました。
住民課「今日二度目の変更ですよね?」
沢乃「なにか問題でもあるんですか?」
住民課「なにが目的なんですか?」
沢乃「一日に複数変更してはいけないんですか?」
住民課「そちらさんの場合、常識を越えるような回数の変更をしてますので理由を聞かせて欲しい」
沢乃「理由を話す必要があるんですか?」
住民課「ともかく理由を聞かせて欲しい」
沢乃「…じゃあ、その番号が気に入らなかったからということにしておいて下さい」
住民課「? 数字が気に入らなかったからですか?」
沢乃「数字が気に入らなかったからです」
ま、以前総務省の担当者に「気に入った数が欲しければ、変更し続けるしかない」と教わったのでそのまま実践しているだけということにしておく(笑
ちなみに一回目はとうとう上二桁が「10」になりました。(二回目は「08」に戻ったので、現在は「08〜10」の番号帯だと思われ)
2005/04/17(日)
「連鎖反応の話」
今週に入ってから、車の部品が壊れて工場送りになったりトイレの配管がつまったりと、立て続けに不具合が生じています。
やはりこの家は、父の、目に見えない力によってなんとか支えられていたんでしょうか?
「そして結局怠惰な話」
たしかに父の葬儀とその後の手続きなどで忙しかったのは事実ですが、なんだかんだで空き時間はほとんど遊んでいました。てへ。
これ以上遊んでいると、会社に復帰できなくなりそうです。おいおい。
2005/04/16(土)
「お礼参りの話」
司式してくださった神父様方に家族一同でお礼にいってきました。
はじめはご近所の教会の主任司祭様。実は週明けには別の教会に転籍されるそうです。
ご自慢のコーヒーをごちそうになりながら、お話。
続いてご近所の教会の二代前の主任司祭様。いまは都心の方の教会におられるので車で訪問。
うちの家族の節目の行事はほとんどこの神父様にしていただいていたので、昔話に花を咲かせました。
三番目に先代の主任司祭様。こちらも都心の方。
なんでも父の葬儀から数えて五日連続でお葬式という超過密スケジュールだそうで、お疲れでいらっしゃったので玄関先で失礼しました。
あと一人は都合がつかずまた今度。
「おたまの話」
池に落ちた花のガクはオタマジャクシの大好物のようで、オタマが群がってつついていました。
2005/04/15(金)
「お役所仕事の話」
いろいろと書類が必要だったので区役所に行って参りました。
1.死亡届記載事項確認書
出てきたものを見れば、ようするに死亡届のコピーに判子が一つついてあるだけのものでした。まぁその判子が重要なのだ。
しかし、「死亡届は区のどの支所にお出しになりましたか?」とさんざん聞いてきやがります。
業者にお任せしたんでこっちはそんなことしりゃしません。ていうか自分で受理した書類がどこにあるかもわからないのか、この役所は?仕方なくその場で業者さんに電話して確認。
すると次は
戸籍係「何にお使いですか?」
沢乃「簡易保険の受け取りです」
戸籍係「どこの郵便局の簡保ですか?」
どこもここもないわ、郵便局は全国チェーンだから本部に聞け!
証書をもってこいといわれたから持ってきたが、証書にはどこで作ったかなど書いていないんだからわかるはずがない。と突っぱねたら通りました。
どうもお役所の方は「どの建物に書類があるか」を大変大切に考えておられるようで、その情報を職場で共有して、どこにあってもすぐに調べられるようにしよう、って発想はないようです。
って、住基ネットとかいうものはお使いでない?(予想.住基ネットは「住民票」しか扱っておらず「戸籍」には対応していないと思われ)
2.住民票
亡くなった人は「除票」という扱いになるそうなので、「除票」を含めた住民票をとるように指示されたのでそれをオーダー。
呼び出されていった窓口から出てきたのは、父上がご健勝であられる住民票でいやがりました。
沢乃「はぁ? 父が除票されてない住民票なんぞだされても困るんですが。こっちには死亡届けが来てないんですか?」
と、前段でつのった苛立ちがちらちら。
さらにしばらく待つと
住民係「世帯主の方が亡くなられて、世帯主がいなくなってしまったので処理が止まっていました。いますぐ世帯主を決めて下さい」
はぁ?
なんですか、お役所では処理が止まるとそれ以前の情報を元に書類作っちゃうんですか?
あのまましれーっともらって帰ったら、本日付で父が存命の住民票が取れちゃうわけですね。わーすごーい。
世帯主は誰でもいい、届出人の身分証明が出来れば(世帯員であれば)誰がいつ来て誰に変更してもなんの問題もないから今決めろ。ときました。
どうやら、世帯主にされる人物や世帯主でなくなってしまう人物の意思確認とかは一切必要ないらしいです。こわいこわい。
それでも「不都合はない」(「民間会社では手当が…」とか言いかけていたので「役所には不都合はない」という意味でしょう)と言うので、しかたなく母に世帯主になってもらうように電話。
沢乃「…というわけで、あとでてきとーに変更できるからてきとーに世帯主を決めろとてきとーなことを言われているんだけど、母上でいいかな?」
プチあてつけ。
やっとこ住民票が出てきたと思ったら、一緒に保険証まで出てきやがります。
住民係「世帯主が変わったので保険証も変更になります」
はぁ?
んじゃ、誰かが勝手に世帯主変更したら保険証はどうなるんだって。
3.隣の青年
カードで住民票を取ろうと思って手続き → 建物名の漢字が「大」か「太」かを確認したいと言われ差し止め → 管理人の連絡先の電話番号を調べるのに一苦労 → 確認を取るついでに窓口で住民証発行されちゃう → 「300円です?」「ハァ? オレ機械で出すって言ったじゃん。200円しか払わんよ」 → おばちゃんから職員のお姉さんにバトンタッチ「機械は時間外になったから窓口でして頂くしかないんですよ」「そっちが下らないことで引き留めておいて時間外にしたんじゃないかっ」…
ここにも犠牲者が。最後までは見物できませんでしたが。
2005/04/14(木)
「その後の沢乃家の話」
芳名帳とお香典をぶちまけてExcelに入力。あきたらゲーム。そしてまた入力。たいした件数でもなかったのでこれはひとまず整理完了。
>四司祭による共同司式って、なんかやばいくらいに豪華なんですが(大汗
落ち着いて神父様たちへのお礼を考えたら、昨日の感激がさーっと引いていきました。かなり…これは(汗
手続きや相続でなにをしなければいけないかの洗い出しも始めました。昨年叔母がなくなって、従兄が同じような作業を終えたばかりなので、「細かいことは従兄に聞け」作戦が発令されました。
「ラグナロクオンラインが静けさを取り戻した話」
先日のパッチが当たって以来、いわゆるBOTの姿が消えました。
ちょうどNHKのニュースで、名指しで問題になっていることを指摘された矢先でしたので、まぁ動く気になればなんとか動ける会社だったのかな? と苦笑混じりに歓迎しております。
で、お馴染みの海底ダンジョンに行ってみたのですが、いままでなら画面中に2〜7体のキャラクターがひしめく(パーティーで狩りをしているわけでもないのに)超混雑MAPだったはずなのに、30分歩き回っても5〜6キャラクターにしか遭遇しない超過疎MAPになってしまいました。
大 変 快 適 。
ゲーム内の驚異的な「生産者」であったBOTの減少で、モンスターからしか手に入らないアイテムの値上がりが懸念されていますが、バブルがはじけたと思えばたいしたことはありません。
むしろ、アイテムの力が非常に強いラグナロクで、いままでのように「あらゆる局面に対応できるようにアイテムをそろえる」ことから、徐々に「1〜2の条件に特化したアイテムにしぼってそろえる」へと考え方が変化していくと面白くなるかな、と考えています。
2005/04/13(水)
[沢乃家お葬儀実況板 その2]
8:30 起床。弟2と棺の部屋で一晩過ごしました。
生前の父を思い起こし…とかは特になく、布団を敷くなり即入眠(笑
弟も似たようなものだったようで、この辺を従兄につっこまれるのだなぁ。と思う次第。
棺の前に供えてあった寿司やお茶が減ることもなく、平穏無事な一晩でした。
9:30 送棺。至って盛り上がりもなく棺を見送り。
家族がそろってもいないあたりが我が家流。
〜11:00 あたふた。葬儀ミサの共同祈願文を考えるも結局弟にまかせっきり。
11:30 教会に。ご挨拶だの段取りだのでわたわた。
遠方の遠縁の親戚の方とかも見えていて、嬉しいような複雑な…いろいろと。
父とご縁のある神父様三人にご報告差し上げたところ、主任司祭様の他にもうお一人来て頂けるとのことだったのですが、蓋を開けてみれば他のお二人も都合をやりくりしていらっしゃって下さいました。
ていうか、四司祭による共同司式って、なんかやばいくらいに豪華なんですが(大汗
ちょろちょろしていたら社長とばったり遭遇。総務の方がいらっしゃるのではないかとは思っていましたが、まさか社長以下フロアの1/3も来て頂けるとは…。大変嬉しい反面、疑問符が脳裏にちらちら。
自分の友人関係も、平日の真っ昼間だというのにおおぜい来て頂いて感激。
正直なところ、“自分のために”これほど多くの人が来てくれたということに感激の涙を流していた自己中心人間の私でした。
それはともかく、予想以上に多方面のたくさんの方に参列していただき、父上も喜んでいるのではないかと思いました。
でも満足はしていないでしょう。主役とはいえ蚊帳の外でしたから(苦笑
遺族として前に立つのですが、涙を主原料とする鼻水は粘度が少なくてぽたぽた垂れてきて大変に困りました。やはりハンカチは必需品です。忘れたのは大失敗(鬱
挨拶などよりタラタラ滴る鼻水の対応に気をとられていたのは、参列側から見たら丸わかりだったんじゃないかとちょっと不安。悲しみの表現と思ってもらってればいいんですが(汗
遺族の挨拶@母。
「話し始めたら止まらなくなって…」と、なんだかここ三年の病状報告みたいになっていました。さすがに愚痴はブレーキがかかってましたが(苦笑
献花。
うちの献花は、参列者の方に花を直接お棺に入れてもらう形式。
ばーんと蓋をあいたお棺に花をいれていくので故人の顔を間近にお別れしてもらえるので、自分的にはわりと好きです。従兄はきついって言っていましたが…やっぱそのへん鈍なのか(-_-;
14:10ごろ 出棺。
焼き焼きしている間、友人に電話でお礼。一人、久しぶりすぎて一見して確信が持てなかった人がいましたが、ここで確認。よかった記憶は正しかった。
全体的にアナウンスが悪かったのか、思ったよりも焼き場までいらっしゃる方が少なくて静かなお別れに。
焼き場の人が「歳のわりに骨がしっかりしている」と言ってくれましたが、父方の伯母たちの時も同じことを言われていたので、血筋なんでしょう。
16:30ごろ〜 会食。
父がいつもひいきにしていた教会近くの中華料理店で、残ってくださった方々とご会食。
マスターにはとてもお世話になりました。
お食事はいつも通り美味。
19:00 帰宅
遺骨を前にまったり。身内でおしゃべり。
23:00 オリジン弁当でご飯食べて解散
2005/04/12(火)
「風邪の話」
昨日はうかれて(?)寒い中、傘もささずに雨中を歩いたり、ついついそのままの格好でうたた寝したりしていたので、どうも軽く風邪を引いてしまった模様です。
怠いのはともかく、鼻がぐずぐず出るのがやっかいで…。って端から見たらすこしは悲しんでいるようにみえるかしらん。
「献花と焼香の話」
「カトリックは本当は焼香も献花もないんですよ。ただ、日本人は何かしないと葬儀に出た気にならないみたいですね(苦笑」
とは会葬業者さんの話。いわゆる「献花」、つまり参列者全員が一輪ずつ献げるのは、神道の玉串から来ているやりかただそうです。
どちらをやってもかまわないそうですし、やらなくてもいいようです。
「棺の話」
お顔の部分が窓になっているのが仏教式。
上蓋の上半身(1/3くらい)が別に開くのがキリスト教式。
「お通夜の話」
自宅で行ったので、親戚とごく親しい方だけの集まりでした。
聖書朗読を少々ミスったとか、ある意味政敵であった司祭様のお話の微妙な空気とか、そんなことばかりが気になったり。
式のあとに幾人か残っていただいて、昔話などしてもらったのですが、父上はあまり友人や職場の話をしない人だったので(自分のやっている仕事の話しはよくしました。食事中に蛇だの蛙だのの話しをして母に嫌がられたり)、昔話をされてもピンとこないことばかりで。
しかし、さすがに70代ともなると、いらっしゃる肩書きはそうそうたるもの。気があったかなかったかは別として、父上は出世には縁がなかったようです。
そんなことより、やはりある程度お年の方が多いせいか、用意した寿司が激しくあまりそうでばくばく食べてしまいました。
それでも朝食は寿司なんだろうな。
「自分の話」
ぷち風邪ぎみでいろいろな準備を弟にまかっせっぱなしのダメ兄でした。
というか、親の通夜だというに、普通にラグナとかしてるし。
会社休んでビール飲んで寿司食ってゲームして、父と同じ部屋でお泊まりだというのに、ノートPC持ち込んで日記書いてるし…。
うーん、なんだか小学校低学年の子が田舎のおじいちゃんの葬式に来た程度の緊張感しかないのか、自分は(汗
2005/04/11(月)
「沢乃家お葬式実況板 その1」
6:30 母からの電話を受け兄弟で病院へ。
7:10 病院着
7:20 千葉県北東部を震源とするやや強い地震
7:35 父・永眠(77歳)
最後の「あ゛〜」という音はげっぷだと思う息子が一名
7:45 主治医による確認
8:00過ぎ 従兄弟が相次ぎ到着
8;15ごろ 神父様がご到着され、お祈りをあげていただく
8:35 主治医からご挨拶
9:30ごろ 病院付きのチャプレン(新教の牧師様)から今後のことについてご説明
親族に電話で連絡
10:40 会葬業者到着。病院の方による「お別れ会」
12:00ごろ 激しい雨の中、帰宅
応接間に父を寝かせる
葬儀についての打ち合わせ
14:30 会社に電話連絡
15:00ごろ 伯母夫妻がいらっしゃる
16:00ごろ〜17:30 うたた寝。というか本格的に寝。
17:30ごろ 母方の従兄弟がいらっしゃる
18:30ごろ 母と平行して各方面に連絡
20:00ごろ 弁当で夕食
遺影に使う写真の選定会
「慣れの話」
例えば一昨日撮った父の写真を「よく撮れている」と言うこと。
例えば涙に暮れて嘆き悲しむ家族のいないこと。
父方の一族(数の少ない一族ですが)で近所に住んでいない従兄からは、「なんで?」と注文がつくことの少なくない我が家の住人です。
まぁ、世間からズレた一家だと言ってしまえばそれまでですが、やはり慣れも大きな要素ではないかと思うのです。
比較的元気だった父の顔しか知らない従兄にしてみれば、肉が落ち、視線が定まらない顔の写真はショックがあったんでしょうが、週に1〜2日とはいえ数時間その顔と向き合っていれば慣れるもので。かえって昔の写真を見て違和感を覚えるほどです。
「地震と大雨の話」
父が逝く直前に関東でやや強い地震、病院から出るときには東京で一週間ぶりの、かなり強い雨。
がんばればそうとうドラマチックな伝説に仕上がりそうです。
「両面対応の話」
結局取りやめになりましたが、弟の婚約式も用意されていたんでした。
病院の看護士さん一同から「婚約式のために用意していたんですけど…」と手渡された花は、いつのまにやら父の枕元に生けられ、式後のお茶用に…と用意された菓子は準備でどたばたしていた家人で食べてしまいました。
弟はともかく、彼女さんはちょっとかわいそうかも知れません。
2005/04/10(日)
「桜吹雪の話」
暖かさであっという間に満開になった桜ですが、今日の大風でかなり散った様子。
病院の駐車場にもかなり花びらが落ちていて、風が通るたびに吹き上げられてつむじを巻いていました。忍者でも出てくるんじゃないかと密かに期待したくなるほど。
ちょうど病院の入り口付近が吹きだまりらしく、花びらがこんもり積もっていました。思わずけっ飛ばして遊んだり…って子供か(汗
「お休みの話」
今日の父上は、昨日元気を出しすぎたかお休み日のご様子。
日中はほぼ寝て過ごしていました。
おつきあいで家族もまったりモード。
なんでも明日、病院のチャペルで弟と彼女が婚約式をやるとかで、父上用のスーツが用意されてました。医者の予告的にはどっちに転んでもおかしくないので、祝い事忌み事両対応のチョイス。
まぁ考えてみればお医者の時間区切りは最悪ベースなので、多少眺めに考えてもいいはずだよなぁ。とか思う今日この頃です。
あぁ、大慌て(?)して損した(苦笑
「カエルの話」
庭の池の水面が波立つほどにオタマジャクシが孵りました。
今年は無事に大きくなって欲しい…けどちょっと数が過剰だから、他の場所にいくらか移してやろうかしら。
親ガエルたちも、カエル合戦の疲れも癒えて活動再開した様子です。
通り道になっているところは餌の虫もよく通るのか、カエルがでんと座っているので、夜はよく踏んづけます(汗
ま、ある程度の年齢のヒキガエルは、ちょっと人に踏まれたくらいではびくともしないので安心です。
…安心か?
2005/04/09(土)
「言葉の話」
もうすっかりナニでアレな父上は、息を吐く時になにか喋っていないと気が済まないようです。
ぼーっと喋っているときはとても言葉が聞き取りづらく、さて、話しかけられているものやら独り言なのやら。
なにか言葉が引っかかると、まるで言葉遊びのようにその言葉を繰り返しています。
やっとのことで「花を全部出しなさい」と言っているらしいと気づいて、お見舞いにもらった花だの病院からもらった桜の枝だのを目につくところに並べてみました。
ところがまだ「出しなさい」と言い続けているので、どんな花を出すの?と聞いてみたところ
「陸中、海中に咲き誇る花を全部出しなさい」
「天皇陛下に頂いた花を出せ、と言っている」
父よ、いくらなんでもそのリクエストには応えられません(汗
そして数分後。
「尻尾を出しなさい」
あ、変わった(汗
2005/04/08(金)
「夏日和の話」
昨日今日ととても暑く、桜が一気に満開になりました。
寒がりの私でも日中は上着なしで出歩けるほどの暖かさで、しかもいい天気。
いつものようにお昼ご飯を食べに会社近くの公園に行ったら、地面一面にビニールシートが貼ってありました。
「4/*(X) 19;00〜21:00 ○○工務店」
お花見の場所取りも大変です。わきにちゃっかり近くの飲食店の出前のちらしが貼ってあったのが、したたかで微笑ましかったです。
ところで、これだけ暑いと花粉はあまり飛ばないものなんでしょうか。
日頃ごっついマスクで完全防備体制の人が、「この部屋空気がよどんでますよ。空気入れ替えましょう」と窓を開けたのにすこし驚いてしまいました。
「チチキトク スグカエレの話」
カナ十文字で要旨を伝えなければならなかった電報文は、短歌や俳句の流れを汲む詩歌なのかもしれません。
ともあれ、母からの電話はそれほど緊急ではなく、とりあえず残った15分でツールの改良に目処をつけて定時で退社。病院へ向かいました。
暖かいせいか、あれで意外とアドレナリンが出ていたのか、駅までは近年まれに見るほど安定した走りだった気がします。
電車の中、“今”なら5月のボーリングには影響が少なそうだとか、自分はどんな顔で“その時”を迎えるんだろうとか、愚にもつかぬ事を考えていました。
病室についてみると、これで父はまだまだ元気そうな様子。
といっても今までほとんど口にしなかった「痛い」という台詞を、呪文のように一息ごとに繰り返していました。実のところ、本当に痛いのか、その言葉がひっかかってしまっているのか判断に困る部分のなきにしもあらずですが、顔をしかめたときは痛いんでしょう。
手足の先にチアノーゼが出ていて、医者によれば2〜3日というところだそうです。
しばらくして「痛い」と言わなくなったかわりに「面白い痛みが出てきた」「ちいさい建物を自分で建てるのは面白い」「頭の大きい山羊を拾ってきた」「原稿は今日は出来ないからおしまいにして、また具合のいいときにお会いしましょう」など、とりとめもなくしゃべり続けてます。
マッサージチェアでリラックスをしてから、母と今後のことについてしばらく打ち合わせ。
弟も三々五々やってきて、日付を越えたあたりで弟を一人連絡係に泊まらせて、他は帰宅。
しばらくごちゃごちゃと忙しそうです。
2005/04/07(木)
「時を駈け抜ける話」
はっ、と気づいたらもう木曜日になっていました。
まぁびっくりしても刻は戻らないので、あわてず騒がずまったりと、どこか遠くを見る目で彼方に思いをはせながら今日も一日生きてゆきます。
拠点の応援で普段より早く家を出て出かけた先が父の入院した病院の近くで伯母が亡くなったときにミサをあげて頂いた神父様がいらした教会のお隣だったり、そこでドジって(しかもドジの半分は私ではなくスケジュールを組んだ人である気もしないでもないでもないですが)いっしょにいたバイトさんに蔑まれて口をきくのも億劫だねって態度で接せられてちょっとドキドキしちゃったり、予想より作業が早く終わったがためにむしろ直帰できずに本部に帰らざるを得ない状況になってしまったり、社長から「確かに理にかなっているし、むしろ私もそうした方がいいんじゃないかとこっそり思わなくもなかったりしたけど、それをヒラにいきなり言われてもどうしていいものやらあたふたしますよ?」 というご命令を下されたり、そこに課長から会議向けで資料作成をぽんと頼まれたり、別の人から正直20秒考えれば自分で出来ると思いますよ?と思うようなくだらない仕事を回されたり(くだらない仕事大好き。でも無茶な締め切りは嫌い)、社長のお達しの解法をそれなりに考えつつでも自分一人で責任とるのいやだなぁ的思考であちこちにちょっち卑屈な笑顔と微妙な事情通育成情報をふりまいたり。
はっ、と気づいたらもう金曜になっていました。
まぁびっくりしても刻は戻らないので、あわてず騒がずまったりと、どこか遠くを見る目で彼方に思いをはせながら今日も一日生きてゆきます。
2005/04/04(月)
「白い幽霊の話」
小田急線と言えば特急ロマンスカー。
こちらの記事が私のもっているロマンスカー観に近いですね。ちっ、おかげで書くことなくなったわ(まて
で、最新型のロマンスカーが走る光景をなんどか目にするわけですが、そのデザインもさることながら、私の印象に残るのが音です。
とても静か…。とても特急が通過していく(都市部なのでスピードは遅めですが)音とは思えない静けさ。サイレンスエクスプレス。白い幽霊とこっそり名付けて見送る日々です。
「ボウリング狂時代」
ボウリングの筋肉痛がそこそこきています。
それはさておき昨日書き忘れたこと。
夏は遠征しよう、六甲でプロの試合を観戦したい、という話が前々から合ったという前置きで。
夫「行くからには投げたいよね」
妻「投げるならボール持っていかないとね」
兄「そうなると車?」
G「一人あたりボール3つだから…」
弟「3×5…15個は乗せる場所ありますかね?」
乗せる場所とかいう前に15個で重量200kgくらいあるんですけど?(汗
ていうか、1〜2ゲームのためになぜボールが3個ですか?(大汗
そう、ボウリング狂はいつでも本気です…(たぶん
2005/04/03(日)
久しぶりのボーリング。
朝早起きして、メンバーの車に同乗させてもらいました。
三ヶ月ほどお休みしている間に、他のメンバーはニューボールをつぎ込んでスコアアップしていたので、正直勝負になるかどうか不安な開幕。
練習ゲームの初球はストライクで、結果145。まぁまぁこんなもんでしょうか? と思ったものの、以前ならこの数字で上位はともかく下位でそれなりの勝負が出来たと思ったのですが、今はまったく…うへぇ。
と思っているうちにヘッドピンがとらえられなくなり中盤は100〜120で低迷。まったくお話になりません。
そしてずるずる負け続けて最終シリーズ。
すでに鈍った腕が悲鳴を上げつつあり、朝食抜きでスタミナも切れつつあった状態がいい方に作用したのか、3ゲームのアベレージは178。逆にスコアを落としていた皆さんを押さえて爆勝モードでした。
自分でもびっくりな展開で、また「油断ならない」印象を与えてしまった…。
帰りにまた病院によって、顔だけ見て(マッサージチェアでリラックスして)帰宅。
さすがに疲れたので風呂でおぼれかけてから眠。
2005/04/02(土)
お昼に横浜で中華料理。
むーくんやTくんはお久しぶり、そのほかの皆さんは毎度。
クイーンズスクエアでMINI XXLを見て帰宅。
母上を乗せて車でお見舞い。
病院周辺で環七と青梅街道を90°勘違いしてうろうろしてしまい、母上の機嫌を損ねました。
相変わらず父の話はトンチンカン。
飛び回る妄想をつないで解釈するに、どうも前の病院で寝たきりであった間の記憶が封印されてしまっているようです。
それだけに、「なんでこんなところに入れられているんだ?」という不信感だけ増幅しちゃっている模様…。はぁ。
2005/04/01(金)
朝、時間に余裕があったのでアキハバラデパートの100円ショップによったら、賞味期限を一月後に控えたプリングルスのGRILLED SHRIMP & PEPPER(水色)のロング缶が100円で売っていました。
反射的に3本ほど手にとってレジに行くと、後ろのサラリーマンも同じものを3本持って並んでいました。
微笑ましい気持ちで店を出て、30秒後に「やっぱり帰りに買えばよかった」と後悔。
帰りに父の病院に見舞いに行ってきました。
病室をのぞいたら寝ていたようだったので、第二のお目当てであるところのマッサージチェアでリラックス。
もう一度病室に行ってみたら目を覚ましていたのでひとしきりお話を聞いてきましたが…。
正直、ありゃあだめだ…。完璧に話がわけわからなくなっている。
帰宅後、母と弟とその日の父の話を持ち寄って、大夢解釈大会。