10月31日(金)
働き盛りで、職場の中心人物で、登り龍のごとき勢いの人は、司馬遼太郎を愛読するらしい。それに対して、藤沢周平を愛読するのは、もう先が見えてきて、大きな望みを抱けなくなった人だという説があります。
確かに今の自分に当てはめてみてうなずける説ですね。でも、就職した当時も嫌いな作家ではなかった。とすると、藤沢周平に共感した時点で、僕の会社での出世というものは、もうあり得ないという結論が出ていたのかもしれません。
僕は、能力という点では、自分でいうのも何なんだけど、いろんな人に評価されているので、たぶんあるんだろうと思う。いろんな人というのは、歴代の副社長を始めとする重役陣もそうだし、なんかの拍子でプロジェクトを組んだ仲間もそうだし、取引先の相手からも信頼の言葉をいくどとなく頂いて嬉しく思った経験を持っています。
でも、結局、会社の組織の中ではパッとしなかった。その原因は、藤沢周平に共感する自分の気質の中にあるんだろうなと言う結論です。
今日は八千代市の関連会社に行って特許の講演に同席し、自分は何もしないでのほほんとして楽をして、そのあとで寿司屋でタラバガニと美味しいトロをご馳走になって、富良野の赤ワインを飲んで、ご機嫌で帰ってきました。こういう事があるんで、評判がいいというのはいいことですね。
10月26日(日)
無事にルーセのパーティーが終わりました。責任の一端を果たしたような気がします。勝手に思ってます。
藤沢周平の「闇に歯車」を読んでいます。悪党の話で、ぼろが出てつかまえられそうな感じでとても怖いです。計画通りに行かなくて、思わぬトラブルに遭遇してしまいます。読むのが苦しいです。
いま、3チャンネルで子供の土曜学校をやっていますが、素晴らしいですね。自分の子供にも、できることならば経験させてあげたかった。正月のお年玉に、ゲームソフトを買ってあげたけど、それでよかったのかとちょっと考えてしまいます。
僕は、何でも自分でやって育ってきたようです。別に教わったわけではなくて、自分で見よう見まねで研究したり本を読んで勉強したりして、覚えてきました。そうやって自分でいろいろなことをやっていく楽しみをあるとき体で覚えたからだと思います。
その楽しみを、子供に伝えてあげられなかったのが、最大の悔いだと感じています。
10月23日(木)
誰かに歯間ブラシを持って行かれた。誰だ?
藤沢周平の「本所しぐれ町物語」を読み終えました。とても素敵なお話でした。蝉時雨みたいなのもいいけど、この味わいの深さはまた格別ですね。還暦で年取ったので、穏やかになったと後書きに書いてありますが、すばらしいできばえです。
後書きは藤田昌司との対談なんですけど、興味深いことがたくさん書いてありました。猫シリーズはいいプロットが思いつかないときの猫まかせで、安直な逃げなのだそうです。
穏やかになった現れとして、盗賊もつかまらなかったし、女の子も苦海から逃れられたし。昔の書き始めの頃とは大違いです。
後おもしろかったのは、ゲーリークーパーの真昼の決闘を真似した作品があまりうまくいかなかったこととか、逢い引きの別れのシーンを使ったとか、彫り師の話は、チャンドラーをイメージしていたとかを読むと、何かとても複雑です。
そんで、司馬遼太郎は歴史を高いビルの上から交差点を歩いている人物を見ているような感覚で書いたとおっしゃっているようですが、かれは、地べたから雑踏を見上げるようなそんな書き方だとも言っていました。同感。
10月21日(火)
藤沢周平の「小説の周辺」を読み終わりました。海坂藩のいわれがわかりました。俳句の同人誌の題号だったのですね。あるいは同好会の名前ですが。俳句って彼にとってそんなに重いものだったとは思いませんが、海の水平線の傾き(地球の丸さによる)を意味する言葉に、味わいを感じたのかもしれません。
彼が、好きな作家としてグレアム・グリーンをあげているのに驚きました。僕が高校・大学を通じて、最も真剣に取り組んだ作家だからです。その作品に較べると、ジャッカルの日も影が薄くなると書いてあり、いい気分でした。
ハードボイルドの流れに関しても、ハメット、チャンドラー、マクドナルドの流れで、途絶えているという意見に賛成です。
僕の宝物であった、本と雑誌を勝手に売り飛ばされてしまったことを、また思い出して、怒りが蘇ってきました。
藤沢氏は庄内人の特質として、ものすごく穏やかで、決して怒ることなどなかったのだそうです。敬愛するというセイウチに爪のあかを煎じて飲ませてあげたいと思います。
彼が作品に読者がいるんだと意識するようになったのは、用心棒日月抄のあたりからなのだそうです。それまでは、胸の鬱屈した思いに駆られて書きなぐったのだそうです。
この本おもしろいね。
10月14日(火)
スウェーデンの合宿もなんとか無事に終わりました。と思ってるのは僕だけで、他の人は無事じゃなかったと騒いでいるかもしれませんが。とりあえず、まだ耳に入ってこないので無事なのです。
いや待てよ。そういえば、他のお客様からの強烈なコンプレインがあって、謝ったんだ。僕だけじゃなくて、原田さんも、中西さんも謝ったらしい。しかし、話を聞くと腑に落ちないことがある。こんどから、僕が渉外担当になって、謝るところは誤り、おかしいところはおかしいと指摘する係になろうかな。何でもかんでも謝っちゃうのはよくない場合もあるから。
今日新橋でりそなに寄ったら、なんと、1ユーロ144円に値上がりしてました。僕が買う気になった、138円29銭はもう戻ってこないのでしょうか。
web情報では、いったん持ち直した後に、2度目のクライシスがあるよ、という情報がありました。
そっか。今度は135円まで下がったら、10万円換えておこうかな。
10月11日(土)
今日はわりと充実した一日でした。外灯の切れた電球を交換し、お風呂のフィルターを掃除し、銀行にお金を下ろしに行き、ついでに、円高だからユーロを20万円ほど買っておこうと思ったら、一日の限度額を超えていますとかで、買えなかったり、背広やその他の上着を洗濯したり、ちょこっとだけ筋トレをやったり、本棚の整理をしました。
本棚といっても、スロヴァキアとスウェーデンの地図やパンフレットや資料がグチャグチャになっていたのを、ちょいとまとめて、日連関係のもうたぶん見ないだろう資料を奥の方にしまい込んで、辞書なんかをいつでも出せるように体制作りをしたのです。
渋谷に行ったついでに、シングルモルトのスコッチを買ってきました。バルヴェニーの12年もので、途中で樽の種類を変えるという凝ったことをしているやつです。ちょっと味見してみましょう。オーッ確かに二種類の樽の味がする。なんちゃって。
他にしたことはなかったかな?そうそう、机の上も少し整理しました。デモの衣装も片付けたし、夕食の後で食器も全部洗ったし、今日は優等生でした。
空いてる時間に、今年のヴィホドナの映像を見ました。フェスティバル編がいいですね。特に女の子がいいですね。何でみんなこんなにうまいんでしょ。
10月7日(木)
池波正太郎の鬼平犯科帳24を読みました。藤沢周平を読んだ後だったので、なんか、大味で手抜きみたいに感じたのですが、だんだん慣れてきて、ま、そんなもんかなと、思い始めていたところ、誘拐の途中で、「作者逝去のため未完」で終わってしまいました。
エッという感じでしたが、ま、お亡くなりになられたのであれば致し方ないと、諦めました。うーむ。何でよりによってこれを買ったのか?
グーグルデスクトップを使い始めました。お花の生育とCPUの負荷とカレンダーと時計とパソコンの中の画像をランダムに表示するのを使っています。お花は今はチューリップです。写真はまったくのランダムなので、忘れていた思いがけない写真が出たりして、そっちの方に気が取られてしまったりします。
10月6日(月)
白き瓶を読み終わりました。すごいというか恐ろしい小説ですね。長塚節も大変な男だけど、それを調べ上げて、執念で推測して、一生を書き上げた藤沢周平も気が遠くなる男です。
何でほかの小説との違和感があるのか、それは、江戸時代じゃないからだということがわかりました。やっぱり時代の持つ雰囲気もあるんですよね。同じ作家にしても。
デモが終わりました。だいぶひどい出来だったように思います。列はぐしゃぐしゃだし、ソロは間違えるし、みっともなかったです。ま、身から出た錆だから、しかたがない。
唯一の成果は、アランの公演がすばらしかったことで、久しぶりにすかっとした舞台を見ることができて嬉しかったです。
10月3日(金)
まだ、長塚節を読んでいます。もうソロソロ死んじゃいそうで大変です。
登場する作家の続きを書くと、佐藤春夫、石川啄木、阿部次郎、若山牧水、正岡子規、志賀直哉、何かが出てきます。
自分の生き方を模索しているのと同時に、時の権力とも戦い始める人がいたのはすごいですね。
節の旅行好きにはあきれてしまいました。手術のあとで、もっとおとなしく静養していれば、長生きできただろうにと、医学の未発達であったことを悲しみます。
大正の初めだから、90年くらい前のことなんですね。今の癌も、後の人が読むと、ふーん癌で苦しんでいたんだ。となるのかもしれまっせん。
明日のデモの準備が完了しました。衣装がふくらんで、入りきらないので、荷物が二個になってしまいました。帽子を入れて三個です。
10月1日(水)
藤沢周平の「白き瓶」を読んでいます。長塚節の話です。藤沢周平の小説とはまったく違った趣で、直江兼嗣や歌麿ともまた違った味わいです。不思議ですね。
長塚節自身の作品って、これまで読んだことなかったんだけど、明治の時代性っていうのか、混沌としている中で、何かを創りあげていってる、そのバイタリティーってすごいね。
伊藤左千夫とか、河東碧梧桐とか、斎藤茂吉とか、夏目漱石、森鴎外、与謝野晶子、鉄幹、なんかが、近代文学の作者という歴史の中の人物ではなくて、節と一緒に生きている生の人物として目の前に出てくるので、すごいなと思います。
節自身に関していえば、親父の借金をやめさせられない呪縛のなかで生きなければならない、そんな時代要素と、たぐいまれなみずみずしい情景の描写力が、共存してしまうことに、うーむっと唸るわけです。売り飛ばされていなければ、近代日本文学全集を買いそろえてあるので、いろいろ登場人物の作品を読み返してみて、新たな感興にに浸ってみるのもいいかなと思います。
10月は会社では下期の始まりだけど、生活の中では、第四クオーターですね。2008年も暮れかかっているということです。